オキクの復讐

 希久美は泰佑が止めてくれたタクシーに乗り込んだ。走り始めたが、泰佑は路上からいつまでも希久美のタクシーを見送っているようだった。希久美は後部座席で別れ際の、泰佑の言葉を思い返した。『これだけ俺のことを知っている女はお前だけ』それって、特別になったということかしら。希久美は、いよいよ仕上げの時期が迫ってきていることを感じた。
「それにしても…。」
 希久美は、ハンドバックから自分のラブレターを取り出して眺めた。ラブレターに書かれた『菊江』という名前。泰佑の口から出てきた久しぶりに聞く『菊江』の名前。10年前に消えたはずの自分に、今ここで会うことになるとは考えてもいなかった。

「荒木先生。次の患者さんをご案内していいですか?」
 新たな感染症の襲来もないのに、小児科では朝から患者さんで溢れていた。診察が終わった前の患者さんの電子カルテを確認しているナミは、モニターから顔も上げず答えた。
「どうぞ。」
 看護師がドアを開けるとともに、聞きなれた声で女の子が、ナミの膝にしがみついてきた。
「あら、ユカちゃん。久しぶりー。元気そうだけど、またお熱でも出たの?」
 ナミはユカを抱き上げて、額を触った。熱もなさそうだ。やがて石嶋が姿を現したが、ドアのそばで立ち止まっている。雷の夜に石嶋の家でエキサイトした自分が恥ずかしいナミは、彼にまともな挨拶も出来ないでいた。一方石嶋は、一向に自分に声を掛けてくれないナミに焦れて、仕方なく自らナミと対面する診察用のいすに座った。
「あの…。」
「へんね、ユカちゃんお熱もないし…。おなかが痛いのかな?」
 おなかを触診するナミに、ユカはくすぐられているかのように、身体をよじって笑う。
「あの…。」
「ユカちゃん、そんなに暴れたら診察できないですよー。」
「ナミ先生。今日の患者は、ユカじゃありません。僕なんですよ。」
 思いつめたような声に、ようやくナミが石嶋に目を向けた。
「今日のユカは、自分の付き添いです…。」
 ナミはじっと石嶋を見つめた。石嶋はそんな視線に押されて伏し目がちに言葉を続ける。
「先日は、家まで来て頂いてありがとうございました。ちゃんとお礼も言えなくて…。あの日先生に怒られて…、自分ではどうしいいかわからないし…。」
 意を決したように石嶋は、姿勢を正し、ナミを正視した。
「ナミ先生、どうか自分達を見捨てないでください。」