トイレから出ると、壁に寄りかかってスマホを弄る男が1名。
「ここ女子トイレです」
『あ、間違えた』
思ってもないような声音で、さっきまでと全く違う悪人のそれを浮かべ、私を見つめ返してくる。
「綾瀬紫苑」
『誰かな』
「私の親友の婚約者です」
『へえ』
動揺も見せずに面白そうに口を緩めている男に舌打ちをしたくなる。
「兄弟いますか」
『一人っ子だよ』
「名前はなんですか」
『さっきの自己紹介聞いてなかったの?』
「自己紹介なんてしましたっけ?」
『相楽悠、よろしくね葵衣チャン』
「私とは全く仲良くしてくれなくていいので、有紗は泣かせないでください」
そう言ったとき、初めて困った顔するこの男。
『俺、葵衣チャンと仲良くしたいんだけどな』
「しらはきり通すつもりなんですね」
『何のことだろう』
「最低ね、どうせ綾瀬紫苑も偽名なんでしょ」
睨み付けると、男は笑みを崩さず微動だにもしなかった。
いや、ほんの一瞬。
その瞳に怒りが宿った。
「ふーん」
『……なに』
「私帰ろうかな」
『送ろうか』
「綾瀬紫苑」
『……答えになってない』
「私どうやらそれなりに性格悪いらしい」
そういうと、至極楽しげに男は笑んだ。
部屋に戻って二人でぬけたのはまた別の話
───────
「それじゃあもう2度と相楽悠とは会わないことを祈ってます」
『俺は葵衣チャンと会いたいな』
「あ、寒気が…風邪引いたらどうしてくれるんですか」
『看病しにいくよ、だから送らせて』
「え、ストーカーになるつもりですか、わかりました。警察に連れていってあげます」
『口の減らない奴だな』
「綾瀬紫苑」
『なに、もうそれ接続詞?』
「かもね」
生まれた沈黙にふいと空を見上げた。
「星…」
綺麗。
『今日は』
新月だからな。
駅までのたった5分の出来事。