凪の海

「ふーん。なら、夕御飯食べたら帰るの?」
「だと思うけど…。」
 その時この姉妹は、いやミチエの家族全員がそうであったが、泰滋がその後多摩川の親戚の家に帰ろうとせず、3泊もミチエの家にとどまることになろうとは考えもしていなかった。

 ミチエと泰滋は、たったふたりで保田の海岸に居た。2月の海岸に人が居るはずもない。泰滋は、寄せ打ちそして引く潮の波と戯れながら遊んでいる。それをミチエはコートの襟を立てて、砂浜の流木に腰掛けて眺めていた。
『ねえミチエや。石津さんは、いつお帰りになってくれるんだい?』
 急に母の言葉を思い出されて、ミチエはクスリと笑った。母は、一応客である泰滋に毎晩のようにご馳走を振る舞い、もう息切れしているようだった。しかし泰滋は、初めて来た日以来、今日で4日目にもなるがなぜが帰ると言い出さなかった。
『ミチエさんの家は、毎晩ご馳走なんだね。京都の自分の家とは大違いだ。』
 そんなのんきなことを言っている泰滋に、人のいい母は追い出すようなことは口に出せない。長兄は、泰滋と気が合うようで、同じ部屋に並べて布団を敷いて寝ても、まったく気にしていないようだった。ただ、妹だけが勉強の邪魔になるからといって、早く帰ってもらうように言えとミチエに迫る。
 ならばミチエはどうだったのだろうか。後日友人に、この3日間に一体何をしていたのかと問われたことがあったのだが、全く覚えていないと答えるしかなかった。確かに、二人のあいだに特徴的な行動や言動があったわけでない。ただ淡々と変わらぬ日常が過ぎ、その日常の風景のひとつとして泰滋が居たに過ぎないのだ。言葉を変えれば、この3日間、彼がずっとそばにいたのにも関わらず、なんの興奮も、嫌味も、不安も、気まずさもミチエに感じさせなかった。
『これって…泰滋さんといると安らぐってことなのかしら?』
 ミチエは自問自答するが、20歳にも満たないミチエにはちょっと難しい問なのかもしれなかった。
「やあ、やっぱり海っていいですね。」
 波際の遊びから戻ってきた泰滋が、ミチエの隣に座りながら言った。今日は、急に泰滋が海を観たいと言い始めて、ふたりでここにやってきたのだ。
「連れてきてもらって、良かったです。無理言ってごめんなさい。」