凪の海

 自分を語る前に、相手を知ろうとするふたりの手紙。もちろん、問われれば答えるのだが、直接会って話をしない分 自分の気持ちを正直に、そしてスムーズに綴るができる。その意味では、実際に横にいて話すことよりも、深くお互いの心を語り合うことになった。
 力説したいのは、ここまでの手紙で、好きだとか恋しいとか、恋愛めいた文章はひとつもないことだ。しかし、手紙をかわしていくうちに、一度も会っていないふたりの間に、着実に何かが育まれていった。
 そして、秋も過ぎ、年が明け、ミチエが高校の卒業をひかえ、泰滋も4年になろうかという1952年の3月初頭。春休みとなった泰滋がミチエに手紙を書く。今考えてみれば、それが泰滋が書いたミチエへの、最後の手紙である。
『来週の日曜、東京の多摩川に住む親せきの家に行きます。もし都合が合えば、東京駅でお会いしましょう。』
 ミチエは手紙を読みながら、速まる鼓動を押さえることができなかった。

 田園調布の汀怜奈の自宅は大騒ぎになっていた。空港から『1週間ほど気晴らしの旅をする。』とメールを残して姿を消した汀怜奈。彼女も子どもじゃないのだからと、無理やり心配する気持ちを押さえて待っていたら、ようやく『明日戻る』とのメールが来て母親は安心できた。
 久しぶりに家庭料理を食べさせようと準備して待っていたものの、なぜかJRから連絡があり、汀怜奈のバックだけが家に戻ってきた。その日、夜が更けても帰ってこない。翌朝、いよいよ警察に捜索願を出そうと思っていたら、今まで見たこともないような短髪の汀怜奈が、はだし同然で家に飛び込んできた。家の前に着いたタクシーにとんでもない料金を払ったのは母親だ。
「汀怜奈、あなたいったい何があったの?」
 興奮する母親の問いに、どう答えたらいいものか。多少動転気味の汀怜奈は、考えを整理する必要があった。
「お母様。もうしわけありませんが、とりあえずシャワーを浴びさせていただけますか…。」
 母親の返事も待たずにバスルームに逃げ込み、汀怜奈は身体に心地よい温水を浴びせながら心を落ち着けた。