凪の海

 実際、佑樹は聞き上手だ。眼をくりくり輝かせながら話しを聞いてくれる佑樹を見ると、彼が可愛くてしかたがない。汀怜奈には、兄と妹が居たが、自分に特異な才能があったせいか、あまり兄弟らしく過ごす時間もなかった。兄は自分を化け物扱いするし、ませた妹とはまったく嗜好が違う。今この時のように、カフェバーでビールを片手に、K—1を語り合う経験などまったくない。もし自分に弟がいたのならこんな感じなんだろうかと、このひと時が心地よかった。
 アルコールの酔いに心地よく漂う汀怜奈であるが、ふと彼女の頭に、なぜこの高校生と自分は飲んでいるのかと疑問が浮かんだ。そうだ、ギターのこと忘れていた。
「ところで、うっぷ。つかぬことをお伺いいたしますが…うっぷ。佑樹さんの…そのギター…。」
 汀怜奈は、ぼやける目をこすりながら、佑樹の横に立てかけてあるギターを指差す。
「ああ、これですか…。1カ月前にネットオークションで手に入れたんですが、修理に出していて、今日受け取ったんです。」
「そうなんですの…か。」
「ところで、先輩。最初から気になっていたんですが、その…日本語の使い方が変なのは、パリの生活が長かったせいですか?」
「そんなことは今、関係ありませんわ…だ。失礼ながら…佑樹さんは…ギターが、うっぷ。弾けるのですか?」
「いえ、まったく弾けません。おじいちゃんに言われて、これから始めることにしたんです。」
 汀怜奈は、あらためてギターと佑樹を見つめた。まったく、猫に小判とはこのことだ。
「そっ、そのギター、売ってくださいませんか…。」
「なんです先輩、いきなり。こんなジャンクなギターが欲しいんですか?」
「金は、幾らでも…。」
 ふらつきながらも、汀怜奈は財布をポケットから取り出そうと立ちあがった。しかし、財布が無い。
「あ…バッグ…。」
 汀怜奈は、チンピラ騒動で飛び降りたから、電車の中に自分のバッグを置き忘れていることにようやく気づいた。バッグの中に、財布も携帯もパスポートも入っているのだ。
「どうしました…先輩?」
 急に立ち上がったせいか、汀怜奈の酔いが一気に体中を巡る。汀怜奈は、気を失ってテーブルの上に倒れ込んだ。