凪の海

 選手たちは、練習が始まって終わるまで水を飲むことが許されない。膝を痛めるウサギ飛びで体育館を何往復もさせられ、倒れても気合いが足りないと言って、監督から容赦なくボールがぶつけられる。練習に合理性も医学的エビデンスもない。盲目的に『根性』という勝利の法則が信じられ、やみくもに鍛えられた時代なのだ。
 それでも目に一杯涙を溜めて、選手たちは耐えた。年を経た今考えれば、熱中症にも疲労骨折にもならず、それこそ精神的圧迫によるうつ病にもならず、良く生きながらえたと不思議に思えるくらいだ。
 鬼監督からようやく解放され、足を引きずるようにして家に帰れば、ミチエには家事の手伝いが待っている。母とともに夕飯の準備をし、食卓に座る頃には、すでにミチエは体力を使い果たし、箸を咥えながら居眠りを始めてしまう始末だ。
「ちょっと、ミチエ。大丈夫?」
 母に肩を揺すられて、ミチエがハッと目を覚ます。
「なに?なに?」
「あなたねぇ、ご飯食べる時は食べないと身体が持たないわよ。」
 ミチエは、母の言葉にお米を口に運ぼうとするが、部活の体罰で課せられた腕立て伏せの影響で、箸が思うように動かせない。
「あなた、最近痩せてきたみたい、目つきも悪くなってるし…。練習がきつすぎるんじゃない?」
「このくらい当たり前だよ。これできついって言ってるようじゃ試合に勝てっこない。」
 心配する母に、ミチエに代わって食事から目も上げず長兄が答えた。その無責任な発言に腹を立てるミチエだが、残念ながら身体が動かず怒りを表現できない。
 食事もそこそこに終えて、嫌がる妹にむりやりあとかたずけを押し付け、自室に戻ると布団に倒れこんだ。横たわってみると、身体全体がジンジンしびれるような感じがする。
 気づかぬうちに寝入ってしまったようだ。妹に身体を揺すられて起こされた。
「みっちゃん。着替えもしないで寝ちゃったらからだに毒だよ。」
「うう…うん。わかったわよ。」
 目をこすりながら半身を起こすミチエ。その膝もとに妹が手紙を投げた。
「それにまたみっちゃん宛てに手紙が来てるわよ。」
「えっ、また?」
「そうよ。それに…。」
 妹がミチエの机の上から2通の手紙を取り、合わせてミチエの膝もとに投げる。
「なによ。前にもらった手紙、2通とも封も開けてないじゃない。」
 そう吐き捨てるように言うと、自分の机で勉強を始めた。