凪の海

「お付き合いって、何言ってるのよ…お友達なだけよ。」
「わたしは始めてお聞きしますわよ。いつからそんな仲になられたの?」
「いつからって…5年前渋谷で映画を観に行って…ほら、汀怜奈に無理やり勧められた時よ。そのあと、石津さんのお父様が亡くなられたあと…そう、このギターを持ってこられて、お話して…。案外石津さんて博学で、お話しも面白いし、私のお話しも聞いてくれるし、その後月一ぐらいでお会いして、おしゃべりしたり、お食事したり…。」
 今度は動揺を見透かされまいとしているのは、汀怜奈の母親の方だった。
「とにかく、私は明日の早い便で帰国するから、もう休ませてもらうわね。おやすみなさい。」
 慌てて寝室に引きこもる母親の背におやすみの声をかけたが、汀怜奈も意外な佑樹の父親と自分の母親との関係を知って驚きを隠せなかった。
 実は汀怜奈も、佑樹のその後の動向は噂に聞いていた。最近ではあるが、スペイン語も英語も話せぬ若者が、スペインのギター工房に座り込み、入門が果たせるまで居座り続けた話しを、スペインギター関係のハッシュタグのツイートを流し読んでいる時に知った。
 練習の合間には、スマホを手にしては僅かなキーワードからその真相をサーチし続け、ついにフェイスブックに入門を果たした日本の若者の顔を見たときは正直驚いた。佑樹だった。どんな心境の変化で、決まっていた大学への入学を蹴って、言葉も分からぬ異国の地に飛び込んでいったのか。あの時のおじいさまの話しの影響なのだろうか。汀怜奈には全くはかり知ることができなかった。すこし大人びた佑樹の顔をフェイスブックで見ると、今まで心の奥にしまいこんでいた箱の鍵が弾け飛んだ。中から抑えきれない衝動が飛び出してきた。
 佑樹に会いたい。会いたくて、会いたくて仕方がない。それならば、佑樹の家に行けばいいのだが、それは彼女のプライドが許さなかった。そしてなにより、彼が汀怜奈に放った最期の言葉が、いつまでも心に引っ掛かっていて、彼の家の門をくぐることができなかったのだ。
『もういい加減…先輩の振りをするのはやめてくれませんか村瀬さん。自分の好きな先輩はあなたじゃない。』