凪の海

「ああ、佑樹さんのお兄様ですね。お写真で拝見させていただきました。」
「佑樹さんって…じゃ佑樹の知り合いなの?」
「はい…。」
「先輩はな、佑樹のギターの先生で、おじいちゃんが亡くなる前に、寝ている横で美しい曲を弾いてくださったんだぞ。」
「村瀬汀怜奈さんが?あの天才ギタリスタの?」
 驚くヤスエに微笑むと、汀怜奈は佑樹の父親に向き直る。
「その節はいろいろお世話になりました。」
「いや、こちらこそ…しかし、先輩がこんなに綺麗な女性だったとは…。」
「ええっ、ヤスヒデ、いままで村瀬さんを男だと思ってたの?」
「ああ、たぶん佑樹だって女性だとは思っていなかったんじゃないか。」
「あんたたち、本当に馬鹿ね。それでお父さんは?」
「おじいさまは、私が女であることは察しておられました。」
「そうなんだ…。」
 まじまじと汀怜奈を見つめる佑樹の父。好奇の目で見つめるヤスエ。そして、あきらかにお近づきになりたい下心が丸見えの目で見つめる泰樹。汀怜奈は少し照れくさくなって彼らに聞いた。
「佑樹さんはどちらに?」
 三人が一斉に汀怜奈の背後に視線を移した。視線に誘われて振り向くとそこに佑樹が立っていた。驚きとか、怒りとか、敬愛とか、相反する複雑な感情が織り交ざると、人間の顔は無表情になる。佑樹の表情はまさにそんな無表情を呈している。
「佑樹さん。あの…。」
 佑樹は、汀怜奈の言葉を待たずに外へ飛び出していった。

 佑樹の足は早い。ヒールの汀怜奈が追いつくわけがなかった。やっとのことで、斎場の駐車場の片隅に立ちすくむ佑樹を見つけた汀怜奈は、今度は逃げられないように慎重に近づいていった。
「佑樹さん。」
 近づく汀怜奈に気づいた佑樹は、顔を反対の方向に背けた。
「佑樹さん、聞いてくださいな。」
 佑樹は黙っていた。
「騙すつもりはなかったのです。ただ…音楽家として、どうしても見つけ出さなければならないことがありまして…。」
 汀怜奈は、ロドリーゴ氏との面会から、久留米への調査旅行、山手線での佑樹と橋本ギターとの出会い、そしておじいさまとの会話の一部始終を語った。
「そんなこと!」
 耳を塞ぐように、佑樹がついに汀怜奈の話しを遮った。
「そんなこと、自分には関係ありません。自分はただ先輩が好きで…。」
 佑樹が言葉を躊躇した。汀怜奈顔が自然に赤くなる。