凪の海

「親父はどんな夢見てるんだろう…笑ってるぜ。」
 そう言って優しくおじいちゃんの頬に手を当て、じっとしている佑樹の父親。その様子見ていた佑樹と汀怜奈は、やがて視線をあげてお互いを見つめた。ふたりの視線は感謝とも慈しみとも言えぬ暖かさで絡み合っていた。
 おじいちゃんは、その日から一週間後に他界した。汀怜奈のギターを聞いた日から、目をさますことはなかったという。

 黒のフォーマルスーツに真珠のネックレス。黒いベールのついた帽子を目深にかぶった汀怜奈は、母親に手配してもらった黒塗りのハイヤーの後部シートに深く腰掛け、自分自身を落ち着かせていた。
 自分は『ヴォイス』を求めて石津家の中に紛れ込んだ。最後の命の灯火を使い切ってお話しをしてくださったおじいさま。そこで語られていた『凪の海』ということばに、汀怜奈が求めていたもののヒントがあるように感じたものの、結局正解は分からずじまいだった。おじいさまの話しを聞いて、素直に感動して弾いたあの一曲。その時の橋本ギターからも、おじいさまとおばあさまの声は聞こえたけど、残念ながら自分のギターは何の声も発しなかった。もう自分にとって、石津家へ通う必然性はなくなった。いやそれ以上に、純粋な石津家のみなさまを騙すようなことはできないと感じていた。
 石津家の皆さんとの触れ合いはとても暖かくそして楽しいものであった。特に佑樹と触れ合いは…。汀怜奈の思考はここで中断する。佑樹と触れ合いをどう表現していいかわからないのだ。子犬のように可愛らしく、しっかりもので、時にはたくましく、ときには頼りなく。そんな佑樹とギターをはさんで過ごした日々が、ペリエの泡のように浮かんでは消えていく。
「汀怜奈、弱気になってはだめよ。石津家のみなさんに嫌われても、自分がなんの目的で何をしていたのか、ちゃんとお話しなければ。」
 汀怜奈を乗せた黒塗りのハイヤーは、葬儀場へ向けて走っていた。

「ところでヤスヒデ。おとうさんのおコツはどうするの。」
 佑樹の父にそう問うたのは、久留米の工房の庭で、花を摘んでいた実姉のヤスエである。当然ながら彼女は父親の葬儀のため、大阪から出てきていた。ふたりは、父親の御霊前の前で、お焼香に並ぶ参列者に礼を返していた。
「ああ、千葉のお墓に、かあさんの骨と一緒にと思ったんだけど…やめた。」
「じゃあ、どうするのよ。」