凪の海

「まあ、上手かどうかはとにかく、じいちゃんが寝ちまう前に一曲弾き終えたのはえらいかもしれない…。」
 答えたのは父親の方だった。
「おとうさま、そんな言い方…」
 ムキになって言い返す汀怜奈をなだめるように、おじいちゃんが小さく声を出した。
「そんなバカなどほっておきなさい。佑樹、ありがとう。心が温まるおまえらしい優しい音色だったよ。」
「でしょう。」
 汀怜奈が相槌ともに満面の笑みで佑樹に向かってうなずいた。佑樹は照れくさそうに頭をかいている。
「だが…」
 終わってはいなかったおじいちゃんの感想に、みんなが動きを止めて注目した。
「なんでそんなに悲しい音を出すんじゃ。佑樹、なにか悲しいことでもあるのか?」
 佑樹は、おじいちゃんの意外な問いに答えることができなかった。
「もしかして…あの世へ行くわしを哀れんで、悲しんでいるのかな。なら…まったくのお門違いだ。」
 そう言いながらのおじいちゃんの薄笑いに、今度は佑樹をはじめ、そこにいる全員が言葉を失った。おじいちゃんは、そんなみんなを見回しながら、言葉をつなぐ。
「むしろ、わしがこの時をどれほど待ち望んでいたと思う。」
「どういうことだよ。」
 気色ばむ佑樹の父親をなだめるように、おじいさんは優しい笑顔を返す。
「まあ、聞きなさい。」
 そして、ゆっくりと話し始めた。

 泰滋の一家が久留米に来て、2週間が過ぎようとしていた。
 泰滋といえば日がな一日、ヤスエと家で過ごしながら養生に努める。ミチエといえば、忙しい性分をここでも発揮して、近郊の市場での時間決め臨時労働、いわゆるパートを見つけ出しせっせと仕事に精を出していた。
 泰滋が縁側で寝転んでいると、ヤスエがヨチヨチとやってきて散歩をせがむ。どんな天気であろうとヤスエは家で過ごすよりは、外で遊ぶ方を好んだ。自分もミチエもどちらかといえば出不精な方なのに、いったい誰に似たのだろろうか…仕方なく泰滋はヤスエのお供で散歩に出る。
 危なっかしいヨチヨチ歩きながら自分の足で歩きたがるヤスエは、泰滋が手を差し伸べることを好まない。自立心の旺盛な愛娘の背後について目で守りながら、泰滋はゆっくりとヤスエのあとを付いていく。