凪の海

 父親は、少し顔を赤らめた。
「座ってもいいですか?」
「どうぞ…今日はどうされたんですか。」
「いや新作ができたんで…ってもエロのほうじゃないですよ。本業の恋愛小説です。それを出版社に売り込みに来たんです。さすがに、パンツ一丁じゃこれないでしょ。」
 汀怜奈は、口元を手で隠しながら笑ってしまった。
「やだな、似合いませんか?」
「いえ、似合っていらっしゃいます。かっこいいですよ。…それで売り込みは成功したのでしょうか?」
「いや、見事に撃沈です。」
 ウェイターが父親のところにやって来た。オーダーを聞かれると、ちょっと困った顔をしながら、汀怜奈を見る。
「おとうさん、失礼をしたお詫びにご馳走します。どうぞ好おきなものをお頼みください。」
 父親の顔がパッと明るくなった。
「えっ、いいんですか…悪いな…そしたら、コーヒーとカントリーマムください。」
 今度はウェイターが困り顔をする番だ。
「おとうさん、さすがにホテルでカントリーマムは…。」
 汀怜奈はウェイターに向いてオーダーを修正した。
「ハウスビスケットがあれば、いただけるかしら。」
 ウェイターは安心したように返事をするとオーダーを通しに奥へ消えていった。
「いや、すみませんね。久しぶりに家を出たもんだから、うっかり財布を忘れちゃって…そうだ、その代わりっていうのも失礼ですが、出版社から映画のチケットを2枚もらったんで…いりません?」
 チケットを見ると、それはディズニーのアニメ映画『アナと雪の女王』の鑑賞券のようだった。
「なんで出版社がおとうさんに映画のチケットを?」
「映画のチケットやるから出てってくれって、担当が…。」
 さすがの汀怜奈も、今度の笑いは手で隠せなかった。
「ありがとうございます。でも、遠慮しておきます。せっかく頂いたチケットですから、どうぞお父さんの好きな方とおふたりで観に行ってください。」
「別に…そんなひといませんよ。」
 父親は運ばれてきたビスケットにコーヒーを浸しながら、照れくさそうな顔で言った。
「でも、お財布をお忘れになったのならご不便でしょう。失礼ですが、少しお貸ししましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。もうすぐ手持ちのお金を佑樹が持ってきてくれますから。」
「佑樹さんが来るんですかっ!」
「ええ。」
「どこに!」
「ここに…。」