凪の海

 当然かもしれないが、親の金で結婚させてもらった学生の身分のふたりは、さらに親から新婚旅行を無心するわけにはいかない。また、結婚式を挙げたからと言って、いつも通りの暮らしのリズムを変えようとも思っていなかった。ただ、ひとつ結婚によって変わったことがある。二人の寝室を隔てていた襖が開け放たれたのだ。
 しかし、その日の夜のことは、ふたりだけの大切な思い出なのだから、そっとしておくことにしよう。

「しかし、佑樹さんは本当に教えがいのない生徒ですね。」
「わかりましたよ…先輩は顔見るたびに、何度も同じことを言うんだから…。」
 佑樹とのレッスンも2カ月を経ようとしていた。第1回目のレッスンでギターを新弦に張り替えたが、もうだいぶくたびれてきたので、今日は御茶ノ水で待ち合わせし、汀怜奈と佑樹で連れ立って新しい弦を買いに来ていたのだ。
「これでも、努力してるつもりなんですけどね。」
「努力は認めますが…本質的な意欲というもの…つまりギターがうまくなるんだという覚悟がないように思えます。」
「そんなものに覚悟なんているんですか?」
「そうですよ。なんでもやり遂げる覚悟というものが大切なのですわ。」
「そんなもんですかね…ところで先輩、今日はなんだか変ですよ。」
「なんです?」
「なんか…怒ってもいないのに、いつのまにか女言葉になってます。」
「えっ、そんなことはない…だろ。」
「ただでさえ先輩は美形なんだから、女言葉なんか使ってると、勘違いした男に言い寄られてしまいますよ。」
「余計なお世話です…。」
 何故か狼狽して立ち止まる先輩。
「とにかく早く買い物して、レッスンを始めましょう。」
 そう言いながら、佑樹は先輩の肩を押して楽器店に入った。それにしても、本当に先輩は華奢な肩幅してるよな…。そんな思いを抱きながら彼は言葉をつなぐ。
「いくらギターがうまくなっても、当の彼女に彼氏が出来てからでは手遅れですから。」
「そうですね…。あっ佑樹さん、ナイロン弦はここですよ。」
 これはどうだ、あれはどうだと、ふたりして肩を並べて弦の物色していると、その背後から声をかけるものがいた。
「あのぅ…。」
 ふたりが同時に振り返る。
「もしかして…村瀬汀怜奈さんではないですか…。」