凪の海

「おねえちゃん、どこから来はったの?」
「千葉よ。」
「えらい遠いんやろ?」
「ええ。」
「こんな長いこと自分の家から離れてて、寂しくならへんの?」
 そう言われてみれば変だ。ここに来てまだ、ホームシックなどを感じた覚えがない。
「きっとシゲにいちゃんが、帰してくれへんのや。」
 ひとりの女の子がわかったような顔で言い放つ。
「あんな優しいにいちゃんが…嘘や、そんなことあらへんやろ。」
「シゲにいちゃん言うてたで。おねえちゃんは、家族よりに一緒にいたいと思える人、なんやて。そやから帰してくれへんのや。」
 子どもたちの言葉が、ミチエの本心を意識の水面に浮かび上がらせた。そうだ、自分がここに居続ける理由は、彼に言われたからではなく、私にとっても泰滋さんが家族以上に一緒にいたい人だからなのだ。
『好きとか愛とかは、未だによくわからないけど…結婚するっていうことは、そういうことなのね…。』
 ミチエは、彼方で子供たちの写生を覗いている泰滋を見つめた。
『私は泰滋さんの妻になる。』
 19才のミチエが、結婚を自分の現実として受け入れた瞬間である。やっと泰滋の妻としての自分が、容易に想像できるようになった。
「ミチエさん。時間です。みんな連れてそろそろ帰りましょう。」
 泰滋が子ども達に帰り支度を促しながら、ミチエに言った。
「はい。」
 そう答えながら泰滋を見つめるミチエの眼差しが、少女から大人の女に変わっていることなど、ぼんぼんの泰滋にわかろうはずもない。

 泰滋の突然グセがミチエに乗り移ったのだろうか。
 その日の晩御飯の席で、ミチエの爆弾発言が炸裂する。
「この家に娘のように一緒に住まわせていただいているのに、泰滋さんとの結婚を来春まで待つ理由がよくわかりません。すぐ、結婚させてください。」
 泰滋も父親も口にしていた冷奴を吹き出しながら咳き込む。
「なんで、そないな急なことを…。」
 泰滋の母も困り顔だ。
「今日町内会のこども達に、お嫁さんでもないのに石津の家にずっといるのは変だと言われました。私は気にしませんけど…お義父さんやお義母さんにご迷惑をお掛けするのもいやです。」
「そやかて…千葉のおうちにも準備の都合が…。」
「ええやないか。ミチエさんさえ構わなければ、僕はかまへん。」
 泰滋は口の周りを豆腐だらけにしながら満面の笑顔で母親を遮った。