ウ・テ・ル・ス

 この時の秋良は、真奈美の願いも届かず、ただ真奈美と仲間とそして自分の保全しか考えていなかった。つまり、生まれた赤ちゃんはどうでもよかったのだ。良いタイミングで引き渡せれば、追手の追跡も緩むだろうとさえ考えていた。やがて、秋良のスマホが震えた。秀麗からのメールで真奈美ともども無事病院を出たことを告げている。秋良は出生証明書を胸ポケットにしまうと、ゆっくりと腰を上げた。
「私は待たされることが大嫌いなこと、ご存じなかったかしら。」
 病院のロビーに、秘書達を携えて待つ代議士夫人。秋良の姿を見ると開口一番彼をなじった。秋良は黙って頭を下げると、夫人を新生児室へ導く。
「わざわざ私が行くまでもないでしょ。」
 夫人が目くばせをすると、新生児を入れる透明なアクリルボックスを持った秘書が、秋良の後に従った。そのボックスの上部には持ち手がついており、新生児を外気に触れずに移動できるようになっている。
『ペットじゃあるまいし…。』
 秋良は心でそう吐き捨てながら、新生児室でボックスに移し替えられる生まれたての赤ちゃんをただ漠然と眺めていた。

 秀麗とともに隠れ家に着いた真奈美は、疲れのあまり与えられたベッドに崩れ落ちた。秀麗は食べ物を仕入れに行った。24時間何も口にしていない。空腹感も度が過ぎて、胃のあたりの感覚が無くなってきた。それ以外は、赤ちゃんが出てきたところから始まり、腰、膝、腕、首筋、体中が痛い。しかも出産で体力を使い果たし、微塵も身体を動かす力が残っていない。確かにこれでは闘えない。
『あとは秋良がどうするかに懸かっているわね。』
 秀麗の言葉が頭を巡った。自分はここで秋良が戻って来るのを待つしかないのか。もし、秋良が戻ってこなかったら…。戻ってきても腕を空にしていたら…。その時は生きてはいられない。天井のシミを見つめながら、真奈美はそう考えていた。

 新生児ボックスに入れられた赤ちゃんとともに、秋良はロビーに戻ってきた。ボックスは秘書が持っている。代議士夫人は赤ちゃんを見て、かつて妊娠している真奈美を見た時と同じように、ハンカチで口元を覆った。
「それでは出生証明書をいただけるかしら。」
 夫人の言葉に促され、秋良は胸ポケットに手を差し入れた。
「結果を出したわけですから…。」