ウ・テ・ル・ス

「ぐぉぉぉぉぉ…。」
 真奈美は、汗にまみれた額に青筋を立てていきむ。身体が小刻みに震える。目は充血し、涙さえ流しながら、息が絶えるのではないかと思えるような苦痛の表情でいきむ。女性がこれほどの力を全身に込める瞬間は、人生に2度と無いだろう。
「お・ね・が・い…。」
 何を秋良に言いたいのか。秋良を見据えながら、うめきとも、叫びとも言えない声を発する真奈美。秋良は、もう十分だと思った。もういい、これ以上苦しまないでくれ。真奈美が壊れてしまう。
「あ・き・ら…。」
 真奈美の声が途切れたその瞬間、水(羊水)が流れ出る音がしたかと思うと、ぷるるんと赤ちゃんが出てきた。秋良は、産声というものを生で初めて聞いた。甲高いその鳴き声は力強く、母の胎内から旅立ち、エラ呼吸から肺呼吸へと変わったその瞬間、外界で生き抜くことを高らかに宣言しているように聞こえた。
 ドクターが秋良に鋏を手渡した。
「えっ、俺に臍の緒を切れって言うのか?」
 ドクターが笑いながら諌止で挟まれた臍の緒を差し出す。乳濁食に膨れ上がったその管はしっかりと母胎と赤ちゃんを繋げており、そんな生身の身体の一部に鋏を入れるなんて到底できない。日本では、医療行為とみなされるこの儀式は、厳密に言えば法律上禁止されている事であるが、こちらでは当たり前のように行われている。
「そんなに悩んでたら、夕食に間に合わないぞ。」
 躊躇する秋良に、分娩台の上から真奈美が笑顔で話しかけた。見ると、憔悴しきった顔の中に、達成感と喜びが溢れている。真奈美の顔が眩しかった。自分は一生かけても、あんな顔になることなんかないだろう。
「どっかで聞いたセリフだな…。」
 そう言いながら、秋良は震える手で臍の緒を切った。
 ヘソの緒が切られるとすぐに赤ちゃんが真奈美の胸に乗せられた。真奈美は、とてつもない慈しみの笑顔で赤ちゃんを見ていたが、秋良は正直なところ、にゅるっとして血も付いていて、ちょっと『キモイ』かもしれないと思っていた。