ウ・テ・ル・ス

「いいから座って待ってなさい。」

『ぐおぉぉおおきなのっぽの…古時計ぃぃぃぃぃぃ。』

「おい、秀麗。真奈美が歌ってる…壊れちまったんじゃ…。」
「いきみを我慢するに、歌う人もいるみたいよ。」
「いきみ?なんだそれ…。」
 俺はいったいなぜこんなに落ち着かないのだろうか。自問自答しながら、秋良はベンチで立ったり座ったりを繰り返していた。

 分娩室の真奈美は、とにかく何かに集中しないといきみたくなるから、腰にあるレバーだけではなく、分娩台の頭の方を握ったり、自分の指を握ったり、それこそ歌ったり、とにかく試行錯誤を繰り返す。
 しかし不思議なことに、陣痛と陣痛の間はウソのように痛みがない。そんな谷間になると、今度は真奈美に睡魔が襲ってくる。眠ってしまうと陣痛が遠のいてしまい、出産に余計時間がかかってしまう。妊婦にとっては決して良い事じゃない。看護師が真奈美の点滴の中に薬を入れようとした。しかし、それを見た真奈美が何を入れられるのか恐怖心が湧き、断固としてそれを拒否したのだ。泣き叫ぶ日本語となだめようとする英語がぶつかり合い分娩室は騒然となった。
 騒がしくなった分娩室に心配になった秋良が、立ちあがってドアの外から中の様子を伺う。その時ドアが急に開けられて、ヘルパーが出てきた。慌てて英語とマレーシア語が混ざった言葉で秋良と秀麗に訴える。
「彼女興奮しているようね…。どうも日本語がわかる人に立ち会ってもらいたいらしいわよ。」
 座ったまま冷たく話す秀麗に、秋良が手を合わせた。
「秀麗、頼む…。」
「馬鹿言わないで、さっき言ったでしょう。あなたの言うことを聞くのは最後だって…。」
「だけど、俺は男だし…。」
「何言ってんの、あなた父親でしょ。」
 すがるような秋良の眼差しも無視して、秀麗はそっぽを向く。かくして、秋良は帽子、マスク、白衣を身にまとい、分娩室へ入ることとなった。

「真奈美、これから点滴に入れる薬は、陣痛を強くする薬なんだ。」
 真奈美は分娩台の上から日本語をしゃべる声の主を見た。そこに秋良の姿を認めると、顔をぱっと明るくした。
「コノヤロー、やっと現れたな。記録用にデジカメ持ってきたか?」
 そうやって強がりを言う真奈美だが、正直なところ、秋良の眼から見ても憔悴しきっているように見えた。
「秋良、ほんとのこと言うと、これ以上痛くなるのは嫌だよ。」