おとのきもち。


♪幸音side


「ごめんね、お母さん…。」
泣きながら一歩、また一歩と、
まるでわたしを連れ去ろうとしているかのように走って近づいてくる鉄の塊に、わたしもまた、近づいていた。
午後10時。駅のホームは暗く、静けさが心の鼓動を抑えてくれる。
たった一人で天国のお母さんに逢いに行くには打ってつけだ。

あ、もうすぐだ。

電車から発せられる光がわたしを包む。
わたしは前かがみになる。

「だめだっ…!!」
誰かの叫び声と同時に、わたしは尻餅をついた。

頭が真っ白になった。
腕を掴まれた感触がまだ残っている。

見上げると、とても美人な女性が立っている。
大きな瞳。艶やかな髪。長く伸びた足。短いスカート。

雨でドロドロになった制服を身に纏っているわたしとは対照的だ。


「なんで…」
「えっ?」
「なんで助けたのよ!!もうすぐお母さんに逢えたのに!!」
あなたみたいな美人には…わたしの気持ちなんてわからないよ。
そういって泣きじゃくるわたしを、この人は優しく包んでくれた。
そうだ、わたしは愛が欲しかったんだ。
愛して欲しかったんだ、あの人に…。


5年前、わたしの父は、お母さんを亡くしてから、頻繁に知らない美人な女性を家に連れ込むようになっていた。
その人は、いつの間にか義理の母になっていた。
そして、父がいない隙を見計らって、わたしに暴力を振るった。
もちろん、父に言っても信じてもらえず、むしろわたしが悪者扱いされた。
それが今まで続いて、我慢の限界を超えたのだ。
生きてきた18年間にピリオドを打ち、
わたしを愛してくれた母に逢おうと思って、この場所に来たのだ。
それがこんなことになるなんて…。


わたしを抱きしめていた手と体が離れたので、美人さんの顔を見てみると、目から涙がこぼれていた。

「えっ!?なんでお姉さんが泣いているんですか!?」
「お姉さん…?俺、男だよ?でもよかった、助けられて…」

え??今なんて?おとっ、おとっ、
「おとこーーーーー!?!?」
こんなに美人なのに!?
「ふふっ、混乱してるみたいだけど、正真正銘の男だよ?音春っていう名前。女装が趣味なんだ。ほら、これ見て?」

と、にこにこしながら差し出されたものは…

「警察…手帳…?」
それには、眩しすぎるくらいのイケメンがいる。
「名前、なんていうの?ちょっと事情聴取したいから、署まで同行…」
「いやっ!!!お願い、家には連絡しないでください!!」

じゃないと、またやられるのが目に見えている。
お姉さん…じゃなくて、お兄さんは困惑の表情だ。
そりゃそうだよね…。
『やっぱりいいです。』
そう言おうとした瞬間、
「わかった!今のは、君の不注意だということにしておく。でも、俺にだけ、教えてくれないか?もしかしたら、助けられるかもしれない。」

死にたい。そう思っていたのは事実だ。
でも、内心、今生きていることに安堵している自分もいた。
きっと、心の中ではずっとSOSと叫んでいたに違いない。
わたしの目の前にいる人は…。
しだいに音春さんに心を許し、義理の母のことを話した。
すると、またあの暖かい感触でわたしを包み、音春さんは耳元で囁いた。

「俺が君を守る。ずっとそばにいる。だから生きて?」

わたしはそれに答えるように、強く、強く、抱きしめ返した。



どれくらい時間が経っただろう。
お母さん以外の人と抱き合うなんて、初めてかもしれない。
ましてや初めて会った知らない男の人となんて…。
いや、外見は女の人だけどね?

胸が恥ずかしさと嬉しさで満たされる。

「あったかくて落ち着く…。」




これが運命の出会いだったなんて、わたしはまだわからなかった。