その夜、二日間に渡り降り続けた土砂降りのせいで、いつもは穏やかなセセラギを奏でていたテラス川は狂暴な濁流へと姿を変えていた。


―――バシャ


巨大な水の大蛇の横っ腹を突き破るかのようにして、一人の女が岸へと這い出てきた。


黒色の髪とコートのその女は、傷だらけで酷く弱っており、その左目は抉れていた。


女の名前は-銀剣の魔女ソードウィッチ-。
それは、世界を敵にした魔女の名であった。


『ゲホッ…ゴボッ…!!』


ソードウィッチは飲んでいた水を吐き出すと、近くの流木へと握っていた銀色の剣を引っ掛けて体が流されぬようにした。

『くくく…。人間と人間に取り入った魔女どもめ…。妾を殺し損ねたことを後悔するがよいわ…。すぐに傷を癒し皆殺しにしてくれる…』


ソードウィッチは憎しみに満ちた瞳で、やっとで雨を小降りへと変えた空を睨んだ。




―――ザッ…


それは、微かな音だった。
しかしそれが、地を踏みしめる人の足音だとソードウィッチは瞬時に悟り、弾かれたように闇夜の奥へと右目を凝らした。

魔女の視力は、人間のそれとは比べものにならないほど優れており、雨夜であろうと片目であろうと、そこに立っている蝙蝠傘をさした一人の少年をとらえていた。


『こんな所からの来客とは、珍しいですね』


そう言った、一目で上流階級の人間だとわかる気品に満ちた美しい少年は、ソードウィッチのもとへと歩み寄って来る。


(おのれ…!人間一匹くらい…)


ソードウィッチは剣を地に突き立てると、それを杖にして全身を貫く痛みに堪えながらゆっくりと立ち上がった。


『はぁ…はぁ…』


だが、それだけで精一杯だった。
うまく力の入らない両脚がガクガクと震えている。


『あ…!無理をしてはいけません…』


少年は蝙蝠傘を投げ捨てると急いで駆け寄り、バランスを崩して倒れかけたソードウィッチの身体を支えた。


『酷い傷だ…。
手当てが必要ですね。
すぐ近くに僕の屋敷がありますので、そこまで歩けますか?』


少年はソードウィッチの片腕を自分の肩へと回すと、ニッコリと微笑んだ。


(こやつ…何を企んでいる…?)


様々な考えがソードウィッチの頭を巡るが、少年の天使のような笑顔と首筋から漂ってくる甘い香りによって、張りつめた警戒心が解けてゆく。




『さぁ、行きますよ』


(フン…もう、どうにでもなれ…)