「――英桃」
菊乃の、高い凜とした声が張り詰めた空気の中に通る。
母親の呼びかけに、しかし英桃は昨夜涙していた、あの泣き声が忘れられない。
父亡くして女手一つで自分を育ててくれた母親に感謝する反面、なぜ父親の死した本当の理由を話さなかったのかと問い詰めたい気持ちもたしかにある。
英桃は煮えきれない気持ちを抱え、だから振り返らないまま手を止めた。
「はい、母上」
英桃が返事をする――。
「英桃、話があります。用意ができたら母屋(おもや)へ来なさい」
そう言うと、英桃の返事も聞かないままに菊乃は直ぐさま水汲み場から去っていった。
「…………」
今の菊乃には昨夜の弱々しさはなく、これまでどおりの毅然(きぜん)とした母の姿だった。
声もいつもと何ら変わらない。
それでも昨夜、彼女はたしかに泣いていた。