その日は静かな夜だった。


 じぃ、じぃ。

 どこかからか小さな虫が羽を擦り、寂しげな音を奏でている。

 ひんやりとした夜気は冬の名残もあるのだろう、まだ少し肌寒い。

 いつもと変わらぬ春の夜。


 しかしその日は多少違っていた。

 忍の里、浅葱(あさつき)の小さな屋敷で、ことは進もうとしていた。



 ご本尊(ほんぞん)、釈迦如来が見守られるその御前に置かれているのは浅葱 木犀(もくさい)とそう彫られた位牌。十六年前、彼はこの屋敷の主であった。彼の者の仏壇の前に、その妻である菊乃(きくの)は座していた。



「――貴方……。貴方がこの世から去って、もう十六年になるのですね」

 月日が経つのは恐ろしく早い。

 木犀がこの世を去ってから、季節は様々に移り変わり、変化し続けた。

 当時は赤子だった息子の英桃(えいとう)は今や青年へと成長している。