沖田総司は道を散歩するのが好きだった。沖田 総司は八王子の在の生まれである。元々農家な のだが剣の道が好きでたまたま近くにあった近 藤勇の道場に行き来するうちに、四天王の一人 に数えられ、気がついたら王城の地で人斬りを 重ねる羽目になった。ろうがいという死病にか かり、息をするのも困難だったが、ふしぎに剣 を持って敵と相対する時だけは咳が止まり、呼 吸に乱れを感じることがなかった。沖田総司 は色の白い美しいおのこだった。道を歩くと女 が総司を見て頬を赤く染めたことが一度となく あった。ある日共に歩いていた土方歳三がから かった。「総司、君は女を知らぬのだろう」 総司は答えた。「はい、必要を感じませぬ」 土方歳三は自分が仕える局長の近藤やかつて盟 友だった芹沢鴨が女をめぐって問題を起こして いたこと

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 03:51:11

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を思い起こして言った。「なるほど、子をもう けぬなら、女は必要もないものなのかも知れぬ な」土方歳三は腰に差していた差し料を抜くと 不意に道端の草を払った。丈の低い青色の花 が剣に従って散った。「おやめください」総 司は土方をいさめた。「どうしてだ」「花に も命というものがありますゆえ」「君や俺が毎 日のように散らせている浪士たちの命は散らし てもいいのか」「それは公儀のための人斬り、 道端に咲いている花に罪はありません」「そ うか」沖田は黙った。総司の言うことに一理あ ると思ったからである。「ならば聞くが、総司 、君はこの花の名前を知っているのか」「は い」総司は答えた。土方は驚いた。まさか総 司が知っていようとは思えなかったからである 。「おおいぬのふぐりと申します」総司が続 けて言った。確かにその通りだった。土方の生 家は薬種を扱う商家も兼ねた農家であった。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 03:53:07

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「総司、君は本草学に長けているのか」土方は 総司に言った。「いいえ、けれども別の世に生 まれたならば今度はそうした学問をしてみとう に思います」土方は黙った。二人の行く末を 待ち受ける暗い運命が薄暮の道にかさなって見 えた。

沖田総司は道を散歩するのが好きだった。とは 言っても新選組の見廻りがあるので遠くまでは 行けない近くの社寺の路地をぶらぶらしながら 、団子屋に入り煎茶を飲むのが好きであった。 ある日、馴染みの団子屋に寄ると見知らぬ女が 髪をざんぎりにして帯を不器用に締めて注文を 聞きにやって来た。「初めて見る顔だな」総 司は用心して言った。長州の間者が女を使って 新選組の隊士に取り入り、討ち入りの日時を聞 き出そうとすることが何度か行われていた。 そういう場合は女と隊士共に頸を斬られてそこ ら辺に晒し者にされておかれる。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 03:54:13

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総司は局長の近藤勇の道場に学んだ者であった からまさか死骸を捨て置かれることはあるまい が、秘密をもらせば斬首は必定であった。店の 亭主が現れて言った。「この女は今朝がた道に 倒れていたのを拾うて来たのです」「はい、 私は怪しい者ではありません、平成の御代から 時を越えてこの世にまろびでたのでございます 」丸顔のよく見ればかわいらしくみえないこと もない面をした女であった。「名を何と申す 」「さしはらと申します」「面妖な名前じゃ な」女は言った。「豊前の苗字でございます 」総司は驚いた。「武家の出か」「いいえ、 平成の御代では平民でも苗字を得ることができ るのでございます」「そうか、俺は沖田と申す 。俺も農民の出だ」こうして総司はその女と親 しむようになった。虹色の帯を締め豚に似た鼻 をしていたので総司はその女を虹色のブー子と 呼びなすようになった。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 03:55:15

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二人が親しんでいるということは隊士の口を通 じて近藤勇の耳にも入った。「歳さんよ」「 何ですか、近藤さん」土方歳三は二人きりでい るときは近藤を局長とは呼ばず近藤さんと呼ぶ ことにしていた。「総司に女ができたらしいな 」「あれは女ではなく妹のようなものですよ」 「そうか、いずれにしろよかったな」「はい」 二人とも総司の命が長くないことを知っていて そう言うのである。ある日、総司の命がいよい よ尽きようという時が来た。

土方が病床の総司に尋ねた。「ブー子を呼ぼう か」総司は苦しそうに息をしながら言った。 「やめてください」「どうして、会いたくない のか」総司はとぎれとぎれに言った。「私は 新選組を脱退して八王子に帰り百姓をしに戻っ たとブー子に伝えてください」土方はうなずい た。「わかった」

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 03:56:14

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沖田総司がいなくなった後、土方は一人で座っ ていると不意に涙がこぼれて弱った。「歳さん よ」そこに局長の近藤勇が土方のいる座敷のふ すまを開けた。「これは近藤さん、ご用です か」「用がなけりゃ来ちゃいかんのかい」近 藤が言った。「そう言う訳ではありませんが、 新選組を預かる局長が下僚の座敷にやって来る とあっては隊士官が余計な詮索をしないとも限 りません」近藤が土方とひそひそ話をしている と必ず二三日後に隊士が庭に引き出されて「士 道不覚悟」と申し渡されて首をはねられるのが 常であった。「総司のことだが、やはり女に は知らせてやった方がいいと思ってな」「そ れはいけません、総司が堅く我々に禁じていた ことです」近藤はそれ以上は言わなかった。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 03:57:15

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土方はそれを見て思いついて言った。「けれど も総司が八王子に帰ったと言ってゆかりの品を ことづかったと渡すのはかまわないのではない かと思います」近藤が尋ねた。「何か預かっ ているのか」「いいえ、総司が亡くなった後、 傍らの手箱を開けてみたら、かんざしがあった のです」「女にやるつもりだったのかな」「 渡すつもりでいて、ろうがいが思いの他ひどく なってきてで団子屋にも行けなくなったものと 思われます」土方は言った。三日後、土方は 新選組局長近藤勇の名をもって女を宿舎にして いる寺の境内に呼び出した。近藤は本堂の腰か けにかけて女を見おろしている。土方はその 脇で侍従ごとく控えている。「その方が虹色の ブー子か」

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 03:59:10

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「はい、沖田様がそのように呼び習わしておら れました」「我らが同志沖田総司は生家に戻り 百姓をすると言って脱隊した」女は言った。 「いいえ、存じております。沖田様はもうこの 世におりません」土方が口を挟んだ。「女、 無礼であろう」「申し訳ありません、しかし私 は沖田様がもうこの世におらないことはわかっ ているのでございます」「なぜだ」近藤が尋 ねた。「女の勘でございます」女が言った。 「そうか、わしにはそれ以上は言えない。沖田 との約束があるからだ」近藤が言った。「左 様でございますか」女はそう言うと頭を地面に つけるようにお辞儀した。近藤は言った。「 沖田からことづかったものがある、土方君、渡 してくれ」土方は本堂から身軽に踏み台を降り ると和紙に包んだかんざしを渡した。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 04:00:09

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女は土方から渡された和紙を開くとかんざしが 現れたのを見てしげしげと見つめていた。そし て言った。「すか」 近藤が答えた。「それは沖田の手箱の中にあっ たものだ」女はそれを聞くと身を震わせてウッ とうめいた。そして大粒の涙をこぼした。「 よかったら髪に挿してみてくれないか」土方が 言った。自分がその目に焼きつけておいて冥土 で沖田に会ったときにその様子を教えてやろう と思ったのである。「はい」女がざんぎりに した髪にかんざしを挿すとそれはあつらえたよ うに似合った。近藤がすかさず言った。「豚 に真珠だな」女が笑みを見せた。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 04:01:08

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土方が気になっていたことを尋ねるという風で 女に言った。「虹色のブー子とやら、そちは平 成の御代からまろびでたと沖田に申しておった ということだが」女が要った。「はい、その 通りです」「平成とはこの御代の前か後か、ど ちらだ」女は言った。「後でございます」そ れを聞いていた近藤が尋ねた。「ではおまえは 公儀がこれからどうなるのか存じておるのだな 」「はい」女が言った。「どうなるのだ」近 藤がたたみかけた。「それは申し上げられませ ん」近藤と土方は黙った。女は申し訳なさそ うに体を震わせた。「よいのだ」近藤が女を 慰めるように言った。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 04:02:07

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土方が女に尋ねた「ブー子とやら、その他にこ の際何か我らに申しておきたいことはないか」 「一つございます」女が言うと近藤が応じた。 「言ってみろ」女は近藤の目をまっすぐに観て 言った。「近藤勇様の虎鉄は偽物でございます 」その場が一瞬凍った。土方は困ったことに なったと思った。隊士の血で寺の境内に血を吸 わせることはかまわない。しかし、女の血まで 吸わせることははばかられたのである。その 時、その場をつんざくような笑い声が起こった 。「わっはっは」近藤は笑いながら女を見お ろすと言った。「そうか」そして、本堂の奥 に引き上げて言った。土方もそれに従った。 女一人が境内に残された。

yasuda_misako55さん

質問者 2015/05/07 04:03:15

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ある日、土方が座敷にこもり、俳句をひねって いると監察の山崎蒸が土方の藻とを訪れた。「 土方さん」「おお、山崎君か」土方は山崎を 買っていた。町の鍼医の息子でありひどく裕福 ではあったが志を持って新選組に入り、近藤勇 のために身を粉にして働いてくれていた。赤 穂藩の討ち入りに一度は連袂(れんぺい)して そ の後に抜けた男の末裔だという噂もあったが、 土方はそうした出自は問題にしていなかった。 そもそも農民の子である土方には武士というも のがそうした体面と血脈にとらわれる個とがひ どく不自由なものに思えて仕方なかったのであ る。山崎は言った。「困ったことになりまし た」「何がだね」「虹色のブー子と申すおな ごのことです」「ああ、彼女か」

質問者 2015-05-07 04:04:13

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「隊士が切ると騒いでおります」「なぜかね」 「局長の虎鉄が偽物だと言い放ったそうですね 」土方は驚いた。あの場には自分と近藤以外他 には誰もいないと思っていたからである。「 誰から聞いた」「実は本堂の下に隊士が昼寝を して聞いていました」「何だと」土方は声を 発した。普段なら境内の下をのぞきこんで誰か 潜んでいないか確かめておくのであったが呼び 出したのが女であったために油断していたので ある。「彼女は沖田君の思い人だよ」「そう らしいですな」土方はそう言いながらこれは 駄目だと思った。ことは近藤個人の問題ではな く、新選組局長としての近藤の体面に関わるこ とであったからである。「止められないのか 」「もはや無理です」

yasuda_misako55さん

質問者 2015-05-07 04:05:05

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「わかった」土方はそう言うより