今から12年前。
マッサージ屋を営んでいたシローだったが、腱鞘炎(けんしょうえん)になってしまい渋々店を畳むこととなってしまった。
独立して家を出ている息子は仕送りが無く、収入はシローの店の売り上げのみだった為、店を畳んでしまった為に金が入ることは無くなった。
息子の仕送りも期待出来ず、シローも妻も年金を貰える年齢に達していない。
生活保護を受けようにも五十代前半の夫と四十代の妻では、働き口があるから対象にはならない。
(うーん……とにかく仕事が見つかるまでは梨恵(りえ)に節約してもらうよう説得しないと……)
貯金はあるにはあるが、浪費癖がある妻の梨恵が原因で心許(こころもと)ない。
今の状況で梨恵に好き放題されては一文無しもありえない話ではないので、どうにか妻の出費を抑えようと様々な説得の仕方を考える。
(……まあ優しい梨恵なら、きっと分かってくれるよな!)
ちょっと金遣いが荒いが、よく気が利き、物分かりが良い愛する妻の姿を思い浮かべてシローは足早に自宅へ戻った。
「ただいまー!」
玄関を開けるシロー。
「……?」
いつもならシローが帰るなり「お帰りなさい」と笑って飛びついてくる梨恵の出迎えが無い。
「梨恵ー?」
いつもと違う状況を不思議に思いながらもシローは靴を脱いで家に上がる。
台所、浴場、便所、ベランダ。
あらゆる場所を探したが梨恵の姿は見当たらない。
それに心なしか、家の家具や置物がやけに少ない気がする。
─何かおかしい
強い違和感を感じるが、その違和感の正体がハッキリと分からずモヤモヤとした気分で寝室に入る。
「……ん?」
寝室に入ったシローの目に真っ先に止まったのは、ダブルベッドの上に置かれたピンク色の封筒。
手に取って見てみると、裏面には『梨恵』そして『さよなら』の文字が書かれていた。
「さよなら!?」
無意識のうちに声をあげながら、封を開けて中身を取り出す。
「…………は?」
その便せんに書かれていた内容にシローは己の目を疑った。
『今までアンタの稼ぎが良かったから一緒に居てやったのに、その稼ぎが無くなったんじゃアンタに価値は無いわ。今さら質素な暮らしなんか出来るもんですか。他に稼ぎが良い男に乗り換えるわ』
─嘘だろ?
─梨恵が、あの優しい梨恵がこんなことを書くわけ……
信じたくないと目をこすって読み直すが、内容に変わりは無い。
ガクガクと震えていた膝が力尽きたように折れ曲がり、シローはその場にへたりこんだ。
─家の家具が少なかったのは、梨恵が自分の荷物を纏めて持って行ったから……
─そして、梨恵が愛していたのは俺自身じゃない
─俺が稼いだ金を愛していたんだ
─最初から、金が目当てで結婚して優しくして……
「…………はっ!」
そこまで考えた所でシローは震える足を叱咤(しった)して立ち上がり、通帳が入っている棚の引き出しを開ける。
だが、引き出しの中には恐れていた通り通帳は無かった。
梨恵が出ていく際に持って行ってしまったのだ。
