『ねえ、楓。魔女は魔法をかけている所を人に見られちゃだめなのよ。
……もし……見られたら……』

「う……ん……」
 艶のある板張りの天井。身体が重い……

 あれ? 私……?

「……気がついたのか」
 え……。
ぼんやりとした瞳に映る、綺麗な顔。

「……!! 社長っ!」
 思わずがばっと起き上がった時、がつん!とモロに社長に頭突き。
「いたた……」
 両手で頭を押さえる。
「痛いのはこっちだ、この石頭」
 社長が文句を言った。

 ここ……。私は辺りを見回した。
 豪華なオーク材貼りの壁。どっしりと重厚な樫の机。黒のソファ。窓から見える、最上階の夜景。
(……どう考えても、社長室……?)

「いきなり倒れたから、ここで寝かせてたんだが……」
「す、すみません……ご迷惑をおかけして……」
 思いっきりソファを独占してた……私……。慌てて床に足を降ろした。
 社長が向かいのソファに座って、腕を組む。
「で? 説明してくれ」
 私は社長に向き合った。冷静な瞳がこちらを見ている。
 ……こうなったら、正直に言うしかない。私は恐る恐る口を開いた。

「あの……信じてもらえないかも、しれませんが……」
「……」
 ごくん。つばを飲み込む。一瞬、間を置いて、私は言った。

「実は、私……魔女、なんです……」
「……」
 暫くの間、社長室に沈黙が続いた。

 やがて、はあ、と社長がため息をついた。
「わかった。で?」
 わかった!? 私は目を丸くした。
「え、えらく、あっさり、なんですね……」
 信じてもらえないかと思ってたのに!? びっくりした私の顔を見て、社長が言葉を重ねた。
「目の前で空飛ばれたら、信じるしかないだろ」
「ご、ごもっともです……」
 こんな時でも、社長って冷静なんだなあ……。だからこそ、この会社も急成長したんだろうけど。私は拳を握りしめた。社長に言わなければならない事が、ある。

「あのっ! しゃ、社長にお願いがっ……!」
 社長が漆黒の瞳で私を見つめた。どくん、と心臓が跳ねた。
「別に人に言う気はないが」
「え?」
「誰でも、言いたくないことぐらいはあるからな」
 ……そういうレベルの問題じゃないような気も……するけど……。
「そ、そうしていただければ、助かります……」
 ぎゅっと、膝の上でこぶしを握る。
「で、でも、お願いと言うのは、そうではなくて……」
「……」
 私は思い切って、社長に頼んだ。
「わ、私を解放、してくださいっ!」

「は?」
 社長が目を丸くする。
「俺がお前を?」
「は、はい……」
「……別に捕まえたりしてないだろ」
「そ、そういう物理的な意味じゃなくて……」

 私は社長を真っ直ぐ見ながら、言った。
「私、今……あなたに従属している状態です」 
「従属……?」
 少し驚いたような顔。そうりゃそうよね、いきなりこんな事、言われたんじゃ……。
 私は頷いて、言葉をつづけた。
「……魔女は、魔法を使うところを見られると……その人のもの、になってしまうんです……」
「……」
「だ、だから、解放していただく必要がっ……」
 少し、呆然としたような声が聞こえた。
「……お前が……俺のもの……?」
 俯いたまま、こくり、と私は頷いた。
「だ、だから、あなたのためにしか、魔力が使えなくなってるんですっ……」
「……」
「か、解放して下されば、元に戻りますから……っ」
「よく、わからないが……」
 社長がゆっくりと話す。
「……例えば、俺がお前に『魔法でこうしろ』と言えば、従わざるを得ないってことか?」
「そ、そういうものじゃありません」
 私は慌てて社長に言った。
「私の魔法は、元々世界に存在する力に働きかけて、補助するようなものです」
「……」
「だから、何もないところからは、何も生まれません」
「……」
「それに……いくら社長が望んでも、『それが本当に社長のためになること』でなければ、だめです」
「……」
「例えば、社長がお金持ちになりたいって願っても、それで社長が幸せにならないなら、叶える事はできません。その人のためになる事=その人が望む事、ではないからです」
「……」
「それから、私……魔女として半人前なんです……」
「……?」
「うまく力を制御できなくて……暴走してしまうこともあって……」
「……」
「だから、いつも魔力の源である髪を編んで、力を抑えてるんですが……」
「……道理で、社内で髪を下ろしたところを見た事が無いわけだ」
「はい……」
 社長は腕組したまま、何か考え込んでいた。
「そ、その、たった一言、『解放する』って言っていただければいいんです。それで、すべて元通りです」
「元通り……?」
「私が……魔法を使うことを見た前に戻ります」
「……忘れる、ということか?」
「私に関する部分だけです」
「……」

 沈黙の後、社長が唐突に言った。
「……嫌だ、と言ったら?」
「は?」
 ぽかんと口を開けたまま、社長を見た。

……え……本気!?

「い、嫌……って……」
 社長の瞳がきらり、と光った……気がした。
「こんな面白そうな事、忘れるなどできない」
 社長が立ち上がって、私の間の前に立ち、屈み込んで、私の左ほほを撫ぜる。
 大きな手。ひんやりした感触。私は呆然としたままだった。
「……お前は、俺のもの、だよな?」
「え……と、そうじゃなく……て……」
 あくまで、私の魔力が、と言いかけた私の唇を、社長の人差し指が塞いだ。 
「……お前は俺のもの、だ」
「……!!」
 思わず息をのんだ。間近の社長の瞳が妖しく光ってる。

「あ、の……?」

 そっと手を離し、社長が窓の方へ歩いていく。私は混乱したまま、その後ろ姿を見ていた。
「……明日から俺が呼んだら、すぐ社長室(ここ)に来い」
「は!?」
 な、何言ってるの、この人っ!? 私は思わず立ち上がった。
「なにせ、お前は……」
 私を振り向いてにやり、と笑う社長の姿が、悪魔に見えた。

「……俺のもの、だろ?」