半ば反射的に置かれたグラスに手をのばし、乱暴にそれを口元へ寄せるホセを、私は計ったように押し倒した。

グラスはからころと床を転がる。

「クラウン…あ、アクアが…アクアが…ああ…俺は…俺は…俺は…」

胸元をかきむしるように苦し気に喘ぐホセの指先は、いくつかのボタンを弾き飛ばし、服を裂いてあの永久に消えない呪いの赤薔薇を惜しげもなく晒す。

ある程度は予想してた。

拷問の跡は、見える傷が消えても。

衣服の下の見えないところは…どうなってるかなんて。

ホセ、やめて…!

私は悲痛に叫んだ。

ぐちゃぐちゃ、だったから。

赤いバラの花が満開に美しく開いたかのように赤に染め上げられた胴体。

生傷絶えぬどころか。

「ああ、ああ、離せ、離せよ…!!」

ホセの病的なまでの自傷行為が、これまで全くないなんて、あるわけないでしょ?

私を監禁し始めてからずっと罪悪感の行きつく先のホセの体は、あまりにボロボロだった。

吸血鬼の回復力を持っているといっても、ホセは食事すら取らなかったから。

許さなかったから。

誰が見ても目をそむけたくなるような、徹底的な傷跡。

深く、浅く、刻まれた罰の跡…

やめてお願い!!

私はそういってホセを押さえ込む。

皮肉にも弱り切ったホセの体が発する抵抗なんて、私は簡単に押さえ込めた。

涙は際限なく床を濡らして、ホセが静かになったとき、カーペットに大きく染みができてしまっていた。


「俺は帰る。子供が待ってるから」


ウィングはそういって、アクアを優しく抱え上げた。

眠るように目を閉じたアクアの目の端からポタリ、と最後の涙が溢れる。

「やっぱ涙腺いかれてやがる」

ひっきりなしに流れ落ちるウィングの涙はアクアの頬に落ち、はじかれて舞う。

ガクッと膝を折ったウィングに、ホセは夢を見るように微かに微笑んだ。

「送っていこうか。ここから出られないだろう」

いや、とウィングは首を振った。

「いいよ。結界もどうせ、解けてんだろ?」

「…」

「クラウンと一緒にいればいいじゃねぇか」

「…ついていく」

「いい」

「ついていく」

「いいって」

「送らせてくれ」

「大丈夫だよ」

「送らせろ」

「何考えてんだ、ホセ。いいって言ってるだろうが」

「…」

離してくれ、とホセは私にそういった。

「暴れないから」

私はしぶしぶホセから手を放して、それでも利き手の左手は大切に、大切に握ってた。


「アクアは…どうするんだ?」

妖精だから腐りはしない、ずっと置いておけるだろう、とホセはそう言った。

それには答えずにウィングは薄く笑った。

「そういや、指輪とお前のロケットがないよな、持ってったみたいだ」

「…」

「いいのかよ、あれ。後生大事にしてたじゃねぇか?」

鎖がちぎれても、ずっと持ってただろ。

「…いい。二人の顔はもう、十分すぎるくらいに覚えてる」

「だろうな、お前ならさ」

「それに、鎖なら、ここにある」

ホセはカプセルに入った、バラバラになっていた鎖の一つを丁寧に掬い取った。

「直して、アクアが帰ってきたら渡してやるよ」

「ふぅん」

「それとこれ、お前に」

「へ?うわっ!」

ウィングは放り投げられた物体をしばらくお手玉した後うまくキャッチした。

…アクアを抱えながらの荒業だ…

「ジュエル家に伝わる、宝剣だ。残念ながら俺のはないが、アクアマリンはしっかり入ってる」

ジュエルの名を継ぐ二人を象徴する宝石を埋め込んであるんだ。

「クリスタルも」

俺が加工した、とホセは言った。

そういえば、ホセの本職はもともと宝石商だから…

水晶とかの加工も、ホセは本職としてやってたからね。

「誰がジュエル家を継ぐって?…はは、笑っちゃうや…」

力なくヘタッと座り込んだウィングは肩をすくめてそういった。

「じゃあまたな、“義兄さん”」

一陣の風を残して、ウィングは跡形もなく消えた。