「あれ、まだ残っていたのか」



私の胸が跳ねた。


口から出そうなくらいに。

声の主はC組担任の落合一人(おちあいかずと)先生だった。

「宿題やってんの?」

「あ、はっはい」

「部活は?ソフト部だよな」

私がソフト部ということを知ってくれていたことに舞い上がりそうになる。

私はこの間、優太に好きな人を訊かれて嘘をついた。

本当は私の好きな人は、この落合先生だ。

「けがして、行ってません」

「そうなのか。どこけがしたんだ?」

「えっと、肘を…」

「見せてみろ」

腕を触られて、心臓が止まりそうになった。

ギプスの上からなのに、すごく落合先生を感じてしまう。

「骨は?」

「あ、割れてるらしいです」

「それはまた痛いな」

「自分の技術の問題なんで、しょうがないです」

「ははっ。謙虚なやつだな。
伊藤先生は菊崎が最近うまくなってきているって言ってたぞ」

「…ありがとうございます」

落合先生が、笑った。

それだけで心が高鳴る。

落合先生は私と身長があまり変わらない。

5cmくらいしか差がないから、距離が近い。

しかも今、私は椅子に座っていて先生はしゃがんでいるのだ。

余計にドキドキする。

「宿題は、英語か。
わかんないとこあったら言えよ?」

落合先生は英語担当なのだ。

「えっと、全部わかりません」

「マジかよ」

嘘だ。

私は英語が得意だ。

だから本当はこんなプリントもちょろいけど、教えてもらいたくて嘘をついた。

英語が得意になったのも、落合先生のためだ。

1年生の頃から、落合先生が英語だったから頑張って勉強してきたんだ。

「これは1年生の時の内容がほとんどだ。
だからこれが出来てないと2年生で全然わかんなくなるぞ」

「だから教えてくださいよ~」

私のクラスは英語が落合先生じゃないから教えてもらった事が一度もない。

「じゃあ、問い1から」

そう言って、先生は私の席の前の椅子に座って教えてくれた。

近い。

距離が、近い。
心臓飛び出そう。

どうにか先生に教えてもらいながらも、プリントを終わらせた。

「菊崎、結構出来るじゃないか。
やれば出来る子だな」

「あはは、そうですかね」

「そうだよ」

頭をポンポン、と撫でられた。
顔に熱が灯る。


ヤバい、ヤバい、ヤバい。

すごい、嬉しい。

「あれ、顔真っ赤だぞ。
熱か?」

顔を下から覗きこまれた。

思わず、体を退けたら、椅子から落ちた。

「ふわあっ」

「おい、大丈夫か!?」

今度は体を寄せて心配してくれた。

一緒の空間にいるだけで、心が落ち着かないのに、この距離はヤバい。

「肘は…ぶつけてないな。
どうしたんだよ、急に。やっぱり熱が…」

そう言っておでこを触られてそうになったので、おもいっきりよけた。

「いやいやいや、大丈夫です!
熱なんかありません!」

「ホントか?」

早く、この距離から逃げたいっ。

もう限界に近い。

「じゃあ、宿題も終わったことだし、早く帰りな」

先生はすくっと立ち上がって、倒れていた私に手を差し伸べた。

これは、掴めってこと?

いやいやいや、ムリムリムリ。

手汗ベタベタなのに。


「イヤいいですよ。
自分で立てます」

「いいから」

左手を掴まれてぐいっと、引かれた。
力、すごい強かった。

引かれた後、私がよろけてしまい、そのまま先生の体にはまった。

「わわっ。す、すすすすいません!」

ガバッと顔を起こすと、先生は笑いを必死にこらえていた。

「お前、一人で面白いな。
おっちょこちょいなんだな」

「なっ…し、失礼な」

「ごめん、ごめん。
でも、そこが可愛いってことだから」


かっかっ可愛いいいい!?


ヤバいって。ホントに、失神しそう。

とりあえず、自分を落ち着かせる。

「そっ、そんなこと、初めて言われました…」

「そうなのか?
菊崎は可愛いぞ」


もうやめてーー!

叫びたくなるのを堪えて、「ありがとうございます」と苦笑い。

自分で、自分の顔が赤い事がわかる。
うう…。恥ずかしい…。

「お前は俺の大事な生徒なんだから」

「え、あ、」

やっぱりか。

そんな風に、本人から自覚させられたくなかった。

やっぱり、私は生徒で、落合先生は先生なんだ。

「ほら、もう帰りな。
部活の人と一緒に帰るのは嫌だろ」

「…はい」

そう声を絞り出すのが、今の私の精一杯だった。