相手の言葉や雰囲気が、自分の思いと何かが足りない。何かが満たされない。
雪絵さんの言いたいことがそういうことなのかはわからないが、僕は雪絵さんの言葉をそんなふうに捉えた。

【綺麗な青空】なんて言われても、僕には青色のイメージしかわからない。
冷たくて、迫力があって、寂しいような雰囲気の色。
それがなぜ綺麗と言えるのか、僕にはわからなかった。

人それぞれ、感じ方は違う。だけど、なんとなくは理解できる。そうやって、人はコミュニケーションを図っていく。
僕は、どうしても色や風景、外見、距離など、見えるからこそわかることが理解できない。

どうしても、僕の世界ではわからないことがあるんだ。別に、それが不幸だと言われても実感がわかない。

よく、目が見えなくなったらどうしよう、ということを耳にする。多分、僕が見えないからこそ耳に入ってくるのだと思う。

見えないからといって、困ることはないと思う。だって、僕はみんなに助けられてこうして生活しているのだから。だけど、この意見は見える人には届かない。

だって、見えているのが当たり前で、見えないことには恐怖しかないのだから。こう考えると、僕は幸せなのかもしれない。初めから、見えないならばそれが普通になるのだから。

「うまく、言えませんけど、相手の言葉とか雰囲気がしっくりこないこととか、よくあります。
そういうニュアンスのこと、ですかね?」
僕は雪絵さんがいるであろう方向を見る。

「んー、多分そう。
よく私のいる方に見れるね。すごい」
本当に驚いたように雪絵さんは言う。
「そういうことは、しっかりしときなさいと母親に言われたので」
僕はにこりと笑いながら言う。

「そうなんだ。
いいお母さんだね」
優しい声色で雪絵さんは言った。
そういえば、前にこういう内容のことを話したら『マザコンなの?』と笑われた記憶がある。

母親が好きで何が悪いのだろうか。僕をここまで、育ててくれた母さんが好きで何を恥じることがあるのだろうか。
笑われることの意味がわからなくて、僕はしばらく母さんと外を歩くのを辞めてたこともある。

僕といるせいで、母さんまで笑われるのが辛かった。でも、外を歩くのを辞めると母さんは、ひどく落ち込んでいるのがわかって、言われたことを打ち明けた。

すると、母さんはケラケラと笑いながら『ひーちゃんは、お母さんの事好き?』と言った。
『好きだけど、お母さんが僕のせいで笑われるのは嫌だよ』と僕が言うと、母さんは僕を抱きしめた。

『バカね。自分の息子がお母さんのことが好きって言ってくれるだけで、お母さんは元気になれるのよ?
笑ってくるの人たちは、そういうことがわからないの。もし、ひーちゃんがその言葉で傷ついたのなら。他の人にそういう言葉は使っちゃダメ。
誰かを傷つけることはしちゃダメなの』

そう言ってわしゃわしゃと僕の頭を撫でた。

『ごめんね、お母さんがちゃんとひーちゃんを産んであげられなくて。ひーちゃんを、辛い思いにさせちゃったね......』

初めて、母さんが見せた暗い感情だった。

カタン、と音がした。
「ふぉっ!?」
栗山先生の変な声。

「ちーちゃん、いつからいたの?」
「結構前からいたんだけど、出るタイミングが」
あはは、と気まずそうに笑う。

「もう」
「痛い痛い!ほっぺた引っ張んないで!
メイク直したのにー!」
「しらん」
楽しそうに二人は騒ぎ出す。

本当に仲がいいんだな、と思いながらそんな雰囲気の中にいた。

「っと、もうこんな時間かー。
そろそろ、帰るね」
「もうすぐ、夕方の4時になるからお母さん帰ってくる?」
「はい」
僕はにっこりと笑う。

「長い時間、一緒にいてくれてありがとうございます。楽しかったです」
僕は立ち上がってお辞儀をする。
「いやいや、私たちが押しかけたようなもんだし、そんなかしこまられても」
ケラケラと笑う栗山先生。

「また、明日ね」
雪絵さんは素っ気なく言う。
「きゃー、ココ顔赤いー」
「うっさい!!」
バシッと乾いた音が響く。

「うっわー、ないわ。ないない。
腕叩くとか、運転できないわー」
栗山先生が僕の後ろに来て言う。

「早くしてよ。長居してたら迷惑。
おじゃましました」
雪絵さんが、そう言うと玄関のドアがあく音がした。

「届かない思いって、どこにいくんだろうね」
ぽつりと、栗山先生が呟いた。
「これ、今日の宿題ね。なんちゃって」
そう言うと、僕の頭を撫でて栗山先生は家を出て行った。