「貴方、奇妙な夢を見るでしょう」


華女の声がなめらかに希皿の耳をくすぐる。


胸が苛立ちでざわついた。


奥乃家の当主、華女に面と向かうのはこれがはじめてのことだ。


しかし屋敷の奥に案内され、一人の女が見えた瞬間、これが華女だと希皿の直感がうったえた。


肌は青白く、肩口でばっさりと切られた艶やかな黒髪によく映えている。


真っ赤な唇はあでやか、切れ長の茶色い瞳がどきりとするほど礼太に似ていた。


唇と同じ色の浴衣を着て、気だるげに座るその姿は今にも消えてしまいそうなほどの儚さだった。


しかし、その瞳に希皿を映した時、華女が纏う雰囲気が変わった。


それは満開の桜が強風に煽られ散りゆく瞬間に似ていた。


華女は美しかった。


それは見た目の美醜で測れるものではなく。


華女を構成する全てが彼女に美をもたらしていた。


長年背負ってきた重責や、悲しみ、疲労、病、愛。


その、全て。


しかし、華女の美しさは希皿を感嘆させるより、何故かむしろ苛立たせた。


「貴方、奇妙な夢を見るでしょう」


華女は唄うように、繰り返した。


希皿は湧き立つ正体不明の苛立ちを必死で押さえ込み、静かな声で応えた。


「なんのことです」


「あら、別に隠す必要はないでしょう」


華女がくすくすと笑う。


すると、こだまのように少女の笑い声が天井から響いてきて、希皿はハッと上を見た。


(……廉姫…か?)


いつだったか、礼太が言っていた、奥乃家の恐ろしくも愛らしい守り神。


「貴方、この数ヶ月妙な夢に悩まされてきた筈よ。どうしても言いたくないのならそれでもいいけれど。今日はある提案があって貴方をここへ呼んだの」


内心冷や汗をかく希皿を知ってか知らずか、華女は言った。


「……仕事の依頼だと聞いているのですが」


「そうねぇ、仕事、という言い方もけして間違いではないわ。」


でも、それよりずっと、切実で親密な名がこの取引には似つかわしい。


華女はにこやかに微笑んだ。
















「……っ、きさら……大丈夫か?何もされなかった?」


一通りの話が終わると、もう用はないと言わんばかりに、希皿は屋敷を追い出された。


門の横でしゃがみこんでいた雪政は、普段の飄々とした様子からは想像も出来ないほどの慌てぶりで希皿に飛びついた。


名にふさわしい青白い頰が火に焼けたせいで痛々しい桃色に染まっている。


数日はヒリヒリと痛みそうだが、雪政にとって、自分の体調などは二の次だった。


「あの糞女、いったい何の用事だったんだ」


奥乃の本家の目の前で、その当主たる華女を堂々と糞女呼ばわりする雪政に、希皿は思わず苦笑った。


(………いや)


希皿はふいに、先ほどまで目の前にいた美しい女の口から聞いた話を思い出して、心の中で訂正した。


(前、当主さま、だな。)


「帰ってから話すよ。お前の首から上すげぇことになってるから」


揶揄い口調の希皿に、雪政は片眉を器用につりあげ、ついでクスリと笑った。


「うん、そうしよう。今、帽子を持って来なかったことを猛烈に後悔してる」


希皿は太陽の熱を吸いこむコンクリートの道路を、雪政と連れだって歩き始めた。


額の汗をぬぐいながら、一瞬だけ奥乃の屋敷を振り返った。


あの古びた、人を見下すために建てられたようなでかい屋敷を我が家とする少年を、希皿はよく知っている。


というより、なんとなく、知っている気がする。


はじめて会った時から、なぜか他人だとは感じなかった。


奥乃 礼太


奥乃家が次期当主………いや。


(礼太……奥乃家が現当主)


重責を担うにはあまりにも頼りない、優しげな笑顔が脳裏をよぎる。


(今は、考えても仕方がない)


希皿はうだる暑さにふらつく足を叱咤し、数歩先を行く雪政を追いかけた。