愛が本当に必要なのか?と問われれば....
生物として存在していくだけならば、不要だ、と彼はそう言った。
しかし、人間は文化の中に生きていて、文化なくして人間足り得ず
その文化の一つとして「愛」がある、と考えていた方が円熟して生きていかれる、とも。
そうして、言葉を彼は続けた。
「愛、と云う文学的な言い方では曖昧だ、と考えるならば
それは、生命の存続に肯定的な生得的プログラム+文化、と言えるな。
例えば、家族愛。
家族が自分を存続させてくれるから、その相手をも存続させようと力が働く。
論理的だ。
恋愛。
有性生殖の意義として、好ましい対象を選択する。その対象と相互に関係性を構築したい。
故に、行動を取ったり、これも生得的なプログラムの影響で精神が変調する。その状態を恋、と呼ぶ。
至極当然だ。」
「それって根拠あるの?」と、深町は尋ねる。
彼はにこにこと笑い「あるさ。例えば、構造に関しては解剖学、まえ、東京大学の教授だった
養老先生とかの説が根幹だし、精神分析学の所見は、USAのお医者さんが使うマニュアル
DSM-ⅣTRの記述が元だ。愛、については、医学者のジグムント・フロイドさんや、アーサー・ヤノフさんの
の有名な説がベースだ。行動学的な所見は、行動学者のコンラート・ローレンツ博士や
日本の、京都大学の今西錦司博士の
説がベースになっていて、それらを統合して並べたものさ」と
彼は、こともなげにそう言う。
「うーん、そうなんだ...。」深町は、訳分からないが
でも、そんなに色々な学者が研究してくれる、と云う事の方に、どちらかというと感激した。
取るに足らないような些細な事を、一生懸命に考えてくれる人が居る、と云う事に。
叔父は、更に続ける。



