「まだ? まだなのですか!」
 4月29日にオルレアンに入城を果たしたものの、十日間程動かなかった。だから、ジャンヌはイライラしていたのだった。翌日の30日には、既に。
「乙女よ、今日はもう攻撃はせぬと決定が下ったのだ。無論、攻めてこられれば、撃退はするが……」
 La Hire(ラ・イール)こと、エティエンヌ・ド・ヴィニョルEtienne de Vignolles。今から約10年程前から王太子シャルルの軍に加わり、ブルゴーニュ派との戦いで頭角を現したこの男は、この時既に41歳になっていたが、そのあだ名、「ラ・イール」(古いフランス語で「憤怒」の意を表す)の通り、少し頭に血が上りやすいところが欠点だった。
「それでは、駄目なのです! 一日も早く、このオルレアンをイギリス軍の手から解放し、王太子殿下にはランスにお入りになって頂かなくては……!」
「何故、それ程急ぐ? そなたも此処に既に着いたのだ。今は体を休め、次の実戦に備えるのが一番であろう?」
 普通は、すぐに頭に血が上って、自分が突撃していくことが多かった彼だったが、今回はまだ年若く、彼の娘といってもいい位のジャンヌがイライラしているのを見ると、冷静に状況を見れるようだった。
「ですから、それはオルレアンの私生児(バタール)のジャン様とお会いした時にもお話しましたが、王太子殿下に一日でも早く戴冠して頂く為なのです!」
「それが、そなたの使命だと申していたな?」
「はい!」
 ラ・イールを真っ直ぐ見詰めて彼女がそう言い、頷くと、彼は腕を組みながら続けた。
「ふむ……ならば、益々、そなたが負けるようなことがあってはよくないのではないか?」
「負ける……?」
「負けずとも、途中で倒れるのも良くなかろう?」
「それは……」
 ラ・イールが何を言おうとしているのか分からないのか、ジャンヌが視線を左右に動かしながらそう言うと、彼が続けた。
「そのようなことになれば、折角上がった士気が下がる」
 その言葉に、流石の彼女もハッとしたように顔を上げ、彼を見詰めた。
「分かりました。今日はゆっくり休ませて頂きます。ですが、1つだけ」
「何だ?」
 そう尋ねながらも、ラ・イールはホッとした表情になっていた。
「私の食事は少なめでお願いします」
「それは、一体……」
 困惑した表情で彼がそう言いかけると、苦笑しながらジャンヌは続けた。
「大人の男性に合わせた食事の量は、私には多いのです。ですから、その半分位で、出来ればそれを子供達にあげて下さい」
「乙女よ……そなたは何と優しいのだ! 清らかで優しく、そして美しい!」
 そう言うと、父親といってもおかしくない程の男は、ジャンヌの手をとったまま跪き、その甲にキスをした。