「兄さん、前はこういう時、抱きしめてくれたのに、もうそういうことはしないのね?」
「お前はもう、俺だけの妹じゃないからな。貴族様だって、陛下だって、気にかけてくれているんだ。兄だからと言って、そんなにべたべた出来ないだろう」
「やっぱりピエール兄さんで良かったわ」
 ジャンヌはそう言うと、少しほっとしたような笑みを見せた。
 彼もそれに微笑みで返したが。彼の手はギュッと握りしめられていた。
 彼とて、本当は最愛の妹をギュッと抱きしめたかった。が、そうしてはいけないと、もう一人の彼が言い、彼はそれに従ったのだった。
 そして、そういう理性的な彼だからこそ、彼女の傍にいられるのだということも分かっていた。時折、とても切なくなったが。

 そんな想いを持つ者達をよそに、時は無情にも流れていく――。

「貴方がオルレアンの私生児(バタール)ですか?」
「そうです」
 1429年4月29日金曜の午後、ジャンヌとオルレアンの防衛指揮官はそんな言葉を交わした。
 Jean de Dunois(ジャン・ド・デュノワ)。オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワと愛人マルグリット・ダンギャンの息子で、後にデュノワ伯となる彼は、この時はまだフランス大侍従やヴァルポネの領主としての地位だったので、その生まれとオルレアンの防衛指揮官という立場から「オルレアンの私生児」と言われていた。
 ジャンヌはこの時まだ17歳だが、ジャンは既に27歳になっていた。

 そのジャンヌがオルレアンに到着する約2ケ月前、深刻な食糧不足に陥っていたオルレアンを救う為にも、ジャンはイギリス軍の食糧輸送隊を襲撃したが、途中でフランス軍が混乱してしまい、大敗を喫してしまっていた。
 そのイギリス軍が鰊(にしん)を大量に積んでいた為、後に「鰊の戦い」と呼ばれたが、これでオルレアンの状況は益々厳しくなっていた。
 そんな時、ジャンは町で奇妙な噂を耳にした。一人の少女がそのオルレアンを救う為に向かっている、というものだった。
「まさか、そんな、ありえないだろう」
 初めはそう言っていた彼も、出入りする商人達から彼女が率いる部隊が本当にオルレアンに向かっていると聞くと、その入城を助けるためにロワール河上流の砦に戦を仕掛け、その間に自分はブルゴーニュ門を通って東のシェシーへ行き、ジャンヌを迎えた。
 その時の最初の会話が先のものだった。