「いつかはしなければならないでしょうが、今すぐというわけではありません」
「じゃあ、何でだ?」
「兄に帰れと言われたからです。帰って、自分の傍で働け、と」
「何だ、それ?」
 傍(はた)から見ると、結構兄と一緒にいるように見えるジョルジュはそう言うと、顔をしかめた。
「兄貴の奴隷なのか?」
「まさか!」
 シモーヌは、大きく首を横に振るとそう言った。
「でも、恩はあります。父に捨てられた私を育ててくれたのですから……」
「本当の兄妹じゃないんだな?」
「ええ。本当は叔父と姪です」
「じゃあ、兄妹愛じゃなくて、普通の恋愛だな」
 ドキン!
 ジョルジュが何気なくそう言ったその言葉に、シモーヌの胸が大きな音をたてた。
「な、何をいきなり! 本当は叔父と姪といえど、それを知ったのは、私が一二歳位の時ですよ?」
「充分じゃないのか? それ位から、異性を意識しだすだろ?」
「そ、それはそうですが、兄は既に結婚してますし、私も姉のことが大好きで、早く後継ぎが出来て欲しいと……」
「バートと付き合いだした頃か?」
「まさか! もっと前です!」
 思わず大き目の声でシモーヌはそう答えたが、ジョルジュは彼女の横に腰かけたまま、グラスを開けて、平然と「へぇ」と言っただけだった。
「あの……大きい声を出してしまい、すみませんでした。はしたないことを……」
「いいんじゃねぇの? もっと酔っ払って、大声で歌とか歌ってる奴もいるし。ここはそういう所だろ?」
 そう言いながらジョルジュがチラリとマスターを見ると、彼はグラスを拭きながら頷いた。
「そ、そうですね……」
 少し頬を赤らめてそう言い、うつむくシモーヌに、ジョルジュは続けた。
「本当に今日はおかしいな。もう帰った方がいいんじゃないのか?」
 その言葉に、ピクリとするシモーヌ。
「ま、帰っても、又いつか、ここに来るっていう約束付きだけどな」
 そのジョルジュの言葉に、ビクリとして、皿に手を添えたまま止まっていたシモーヌが彼を見た。
「又来てもいいんですか?」
「いいだろ、そりゃ。ここに来るのは、皆自由だしな。ま、どうしても愛しの兄貴とやらが止めるってんなら、無理強いはしないけどな」
「……いいです、兄のことは。姉も私には自由でいて欲しいと言ってくれてますし。それに……」
『もう一度、バートに会いたいんです』――その言葉が喉元まで出かかったのに、何故か声にはならなかった。
「では、今日はこれで失礼します」
 そう言うと、シモーヌは立ち上がった。
「ああ。又な」
 ジョルジュがそう言って軽く手を振ると、シモーヌも微笑んだ。
「ええ、又」
 『又』という言葉がこんなに優しく聞こえたのは、初めてだった。