おそらく、都合が悪くなった際、彼女が国王にそう言ったということは、彼女を非難するのに使えると考えていたのだろう。
「まぁ、戴冠なさるのはよいことでしょう。陛下に素直に従わぬ者、未だに様子見の者にも御威光を示すのにいいでしょうからな」
「余もそう思うておる。それに、あの者が本物のフィリップのようであるようだしな」
「フィリップ様……?」
 王族でも平民でも、そういう名の者はたくさんいた。一体どの「フィリップ」のことを言っているのか、彼が頭を巡らせていると、シャルルは苦々しい表情になった。
「死んだとされておった、あのフィリップだ。余の一番下の弟で、あの女が不義をして生まれたという噂の……」
「ああ、成程」
 そう言うと、ラ・トレムイユは顔をしかめた。
「陛下が先の王妃様の不義のお子でないのはめでたいことと思いますが、あの小娘が王家の血を引いているというのは、どうも……」
「明らかにするつもりなど、毛頭無い」
 シャルルはそうはっきり言うと、溜息をついた。
「左様でございますな。小娘ゆえ、陛下の御代(みよ)を脅かすことにはならぬでしょうが、担ぎあげようとする不届き者が出ぬとも限りませぬ」
「ふん、そのようなこと余の息のかかった者にあの娘を嫁がせれば済むことだ。それより、問題はあの女だ」
 シャルルはそう言うと、顔をしかめた。
 その表情で、その「あの女」が誰なのか分かり、ラ・トレムイユも苦笑した。
「ああ、イザボー様ですか」
「『様』など要らぬわ!」
 そう言うと、シャルルは机の上にあったグラスを手で叩き落した。
 ガシャンと外まで聞こえそうな音がしたが、興奮した彼には、そんなこと位どうでも良かったらしく、気にも留めなかった。
「だが、あの女も、あの小娘のことを知れば、会わせろと言ってくるであろう」
 シャルルが床に落ちて割れたグラスのことを見もせずにそう言うと、ラ・トレムイユはそっと近付いてこう言った。
「存じませぬと申し上げればよろしいのですな?」
「そうじゃ。あの小娘は、ただ、大天使のお告げをもらい、余をランスで戴冠させる為に田舎から出て来た。それ以上のことは何も無かったのだ」
「承知致しました」
 ラ・トレムイユがそう答えて頭を下げ、入って来たのと同じ扉から出て行こうとすると、シャルルがやっと彼を見た。
「殺してはならぬぞ。傷つけるのもいかん。今は、な」
「承知致しました」
 ラ・トレムイユはそう答えてニヤリとすると、そこを後にした。
 ――やがて、この二人がジャンヌの未来に暗い影を落とすこととなるのだが、この時点でそのことに気が付いた者はいなかった。