「フン、まぁ良いわ。じき終わるのだからな」
 彼がそう言って再びニヤリとした時だった。
「ボーヴェ司教」
 廷吏のジャン・マシューがそう言いながら近付いて来たのは。
「聖体の秘蹟(=聖餐のこと。キリストの命を頂き、永遠の命の交わりを先取りするという神の恵み)を受けたいと申しておるのですが、よろしいですか?」
「フン、聖体の秘蹟だろうが何だろうが、あの娘が望むものは全て与えるがよいわ!」
「はい……」
 そう答えながらも、ジャンはピエールを睨みつけたが、勝利に酔いしれる男は、それに気付くこともなかった。
「ジャンヌよ、お前が望む物は全て与えてもよいとのことだ。何か欲しい物は無いか?」
 ジャン・マシューはまだマルタン修道士の傍に居たジャンヌの所に戻ると、彼女は力無い笑みを見せて言った。
「十字架を」
 その言葉に、マルタン修道士がその胸に架けた十字架を渡そうとすると、彼女はそれを手で制した。
「頂いてしまうと、それは私と共に焼けてしまいます。ですから、どうかそのままお持ち下さい、修道士様」
「では、どうするのだ?」
「近くの教会から持って来て、私がずっと見ていられるよう、真っ直ぐ高く掲げて頂きたいのです。イエス様の架けられた十字架と共にあれるように……」
 そのジャンヌの言葉に、修道士の目から涙がこぼれた。
「何故、こんな敬虔な娘が異端だなどと言われて殺されねばならぬのだ? 神は何故、助けて下さらぬ?」
「(大天使)ミカエル様は、殉教を恐れるなとおっしゃいました」
 そう言う少女は、顔こそ必死に作り笑顔をたたえていたが、目からは涙が溢れ、体はブルブル震えていた。
「しかし、お前は気が弱っていたが故、信仰を捨てたと偽りの署名をしたことしか悔いておらぬではないか!」
「それはそうですが、それでも神は悲しんでおられます」
 ジャンヌが悲しげなひょう表情でそう言った時だった。彼女の近くに居たイギリス人の男が木の棒で作った十字架を差し出したのは。
「これは……! ありがとうございます」
 ロザリオ程ちゃんとした物ではなかったが、それ故に誰の物でもないと分かったジャンヌは、そう言うと今度は素直に受け取り、恭(うやうや)しく口づけをすると胸元に入れ、その上に手を置いて、目を閉じ、祈った。
「神よ、どうかこの者にあなたのご加護をお与え下さい」
 マルタン修道士が天を仰いでそう言い、胸の前で十字を切った時だった。サン・ソヴール小教区の聖職者が十字架を持って来たのは。
「ああ、イエス様、イエス様!」
 ジャンヌはそれを見ると、嬉しそうに十字を切り、再び祈った。