だが、そんな状況でも、ピエール・コーションのジャンヌ・ダルクへの恨みは増すばかりだった。
 裁判において書記を務めた公証人ギヨーム・マンションらの記録によると、ジャンヌはブーヴルイユ城の主塔の2階に監禁されていたが、その部屋の隣の階段には、打ち明け話を盗み聞きする為の人間が何人も配置されていたという。
さらに、陪席判事ニコラ・ロワズルールが
「自分もロレーヌの辺境の地出身の捕虜だ」
と偽り、打ち明け話をさせるべく、ジャンヌの部屋を訪れていたという。どれも無駄に終わったが。
 ついでに書いておくと、先に名前が出たギヨーム・マンションは、1431年6月7日、ピエール・コーションが彼女の裁判に関わった証人を召集し、
「ジャンヌ・ダルクは死ぬ前に『声』を否認した」
と証言させ、記録に残しているが、彼は署名を拒否している。
 3月27日から5月24日までの「普通審理」の中でピエール・コーションは、ジャンヌ・ダルクに「真実を述べる」という宣誓をさせようとしたが、彼女は
「あなたが何について尋ねようとなさっているのか、私には分かりません。私が答えるつもりのないことについても、お尋ねになるかもしれません」
と言って拒否した。
 その後も
「ルーアンの城内に指定された牢から許可無く出ることを禁じる。それに違反すれば、異端の罪を認めたものとみなす」
とコーションが言っても、
「私はその禁止事項を承諾しません。もし逃げることが出来ても、私は誓いを破ったと誰からも非難されることはありません」
と反論したのだった。

 何故だ……。何故、あんな田舎娘にこんな受け答えが出来る? 確か、読み書きも戦の最中に学んだと聞いておったが、兄のピエールや傍に居た者が教えたのか? こんな受け答えまで? いや、そんなはずはない! 第一、私が何を質問するかまでは分かるまい。まぁ、多少はメモしておいたが、そのまま質問しておるわけではないし……。……いや、「オルレアンの乙女」と慕っておった者がそのメモの内容を探っておったとすれば、出来ないこともない。まさか、未だに誰かと通じておるのか? よもや、この中にも……?
 そう思いながら、ピエール・コーションは周囲を見回した。