「何かあったの?」
「パリ大学の方も騒がしいようですが、こちらでも神学者が色々集められているようでして、その……おそらくは……」
「おそらくは?」
「魔女裁判とか異端審問とか、そういった類(たぐい)のものが行われるのではないかと……」
「魔女裁判……」
 小声でそう繰り返すマルグリットの顔は、みるみるうちに真っ青になってしまった。
 一般的に「魔女裁判」やそれに至る「魔女狩り(Chasse aux sorcieres)は主に15世紀に始まり、16~17世紀が最も酷く、ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンらの出現により衰退していくのだが、ジャンヌが「オルレアンの乙女」として活躍したのは1429年なので、少し早かった。
 ただ、「とにかく裁判にかけ、多くの人々の目の前で彼女を亡きものにしたい」──ピエール・コーションらのその気持ちはマルグリットにもそれはすぐに分かり、真っ青になり、足元がふらつきながらも、すぐ傍の柱にもたれかかり、倒れないようにはしていた。
「大丈夫ですか、奥方様?」
 ジェイコブがそう言いながらマルグリットに近寄ると、彼女は何とか微笑んでみせた。
「大丈夫よ。それより、何とかその裁判に味方を送りこめないのかしら?」
「それは、残念ながら、今の私には無理です。閣下の下僕(しもべ)になってから教会に通うようにしていましたので、洗礼名はすぐに頂けましたが、通常ならば、それも数年かかり、※堅信(Cf.カトリックでの堅信)(けんしん)まで更に数年かかります。まだ私は、本当に客分の身なのです、奥方様」
 ジェイコブが申し訳なさそうにそう言うと、マルグリットは肩を落とした。
「ですが、奥方様、乙女の活躍は、フランスの民は存じております。味方になってくれる者も必ずおりましょう」
「そうね……。きっと、そうなるわね」
 マルグリットはそう自分に言い聞かせるように言うと、ジェイコブに微笑んだ。
「はい、きっと……」
 そんな彼女に微笑み返しながら彼はそう答えたが、一抹の不安がその胸によぎっていた。
 ソルボンヌの神学者ジャン・ジェルソンは、ジャンヌがもたらした勝利や行動に異端の片鱗すら感じられないと主張し、それが故に大学を追われていた。ジャンヌに味方する者が弁護することすら許されない、というのが現状だったのである。
 ……言わぬ方がよい。これ以上、このお方を心配させてはいかん!
 そう心の中で呟いたジェイコブの声は、幸いにも彼女に伝わることなく、彼女は夫、アルテュールの待つ屋敷へと戻って行ったのだった。
 そして、11月、ジャンヌ・ダルクは、ボールヴォワール北西のアラスに移された。それから、その西のル・クロトワ、サン・ヴァレリー・シュール・ソンム、アルク、ボスク・ル・アール、ブールイユ城と次々移動をさせられ、裁判の行わるルーアンに近付いて行ったのだった――。