「わ、私は……」
 正直に言えば、一瞬考えもした。が、少女の無邪気な好意と期待の眼差しに見詰められては、頷くことが出来なかった。
「……良いのです。正直におっしゃられても。私が誰の娘か御存知の方は、まず乙女のことを聞かれるのが普通なのですから……」
 ジャンヌ・ド・バールはそう言うと、再び肩を落とした。
 少し……可哀相かも……。
 シモーヌは彼女のそんな姿を見てそう思ってしまい、気付くと、手にしていた百合を差し出していた。
「え……? これを下さるのですか?」
「ああ」
「でも……出来れば、乙女に差し上げたいと思われていたのではありませんか?」
「!」
 驚いたシモーヌが彼女を見詰めると、少女は寂しげに笑った。
「やはり、そうでしたか……」
「いや! でも、先程は、そなたでよいと思った! その……その年で、その様な憂い顔をするのはよくないと思ってな……」
「まぁ、優しいお方なのですね」
 少女はそう言うと、微笑んだ。先程までのどこか寂しげな表情ではなく、頬をピンク色に染めて。
「私、ちょうどこれくらいのお花が生けられる一輪挿しに良い物を持っておりますので、それに生けてあの方のお部屋に飾りましょう」
「恩に着る」
 シモーヌがほっとしながらそう言うと、少女が急に近付いて来た。
「その代わり、あなたのお名前を教えて下さいませ。私の名前は先程申し上げましたのに、教えて頂けないのは、不公平ですし」
「そうだな。私の名は、シ……」
 「シモーヌ・ド・リッシモン」と言いかけて、ハッとした。
 駄目よ、駄目! もし陛下のお耳に入れば、又父上が疎まれてしまうもの!
「あの……?」
 思わず「シ」と言いかけてしまったシモーヌに、ジャンヌ・ド・バールがそう言いながら近付くと、彼女は作り笑いを浮かべた。
「すまない。私は、シモンだ。それ以上のことは、出来れば聞かないで欲しい。私は庶子(しょし=正妻以外の子)なので、家名を出すとややこしくなるのでな」
「一人っ子なのですか?」
「いや、次男ではあるのだがな……」
 そう答えながら、シモーヌは自分の「父」となったアルテュール・ド・リッシモンのことを思い出していた。
 先日、パテーの戦いで、ようやく気になっていたジャンヌ・ダルクその人にも会えたというのに、共同戦線も結局その一戦だけで、又すぐに国王シャルル七世に追放されてしまった彼のことを。
 あんなにもフランス、ひいては国王の為に尽くしているというのに、認めてもらえないどころか、冷遇されている彼が、とても不憫だった。
 イングランドの実質的な総帥、ベッドフォード公は、そんな彼とその兄のブルターニュ公ジャン五世に何度も寝返り工作を仕掛けてきていたが、どちらもそれに乗る様子は見せていなかった。
 二二歳の時にアジャンクールの戦いで捕らえられ、母のいるイングランドへ連行されるも、「アーサーArthur(=フランス語読みで「アルチュール」)の名を持つブリトンBriton(=Britagneブルターニュ)人がイングランドを征服する」という迷信を気にしたヘンリー五世により釈放されないどころか、母も疎まれて人質状態だったことが尾を引いているのかもしれない。
 或いは、彼がイギリスを後にするきっかけとなった、ベッドフォード公ジョンの侮辱が忘れられなかったのかもしれない。
 いずれにしても、当の本人でなければ分からないことだが。