『どうぞ私にお力をお貸し下さい。ロワール川周辺からイギリス軍を追い払い、王太子殿下がランスにお入り頂けるように』
 デュノワ伯やアランソン公ジャン二世らの前でそう言いながら、乙女は旗の柄を握りしめていた。
『陛下には、ランスにお入り頂き、そこで戴冠式を行って頂かねばならないのです。歴代のフランス国王がそうなさってきたように』
 厳しい表情でそう言う少女の瞳は、空のどこか遠くを見詰めていた。
 あんなに……あんなに頑張ってきておられたのに……そのランス出身の司教に捕らわれの身になってしまうだなんて、どうして神はそんなむごい試練をお与えになるのでしょうか……。
 シモーヌが心の中でそう呟いた時だった。
「あんなに乙女が陛下のランス行きを強く望み、それを叶えられたというのに、その地から自(みずか)らを陥れる者が出ようとは、神も皮肉なことをなさる」
「ええ、本当に……」
 今や「父」となった兄アルテュールも同じことを考えていたことに少しだけ目を丸くすると、シモーヌはそう言い、溜息をついた。
「父上、陛下はまだ動かれないのでしょうか?」
 その問いに、アルテュールは苦い表情で首を横に振った。
「そんな……! 陛下をランスで戴冠させられたのは、誰だと思ってらしゃるのです? 今、陛下がシャルル七世としてあられるのは、乙女のおかげではありませんか! それに、乙女は陛下の……」
「しっ!」
 シモーヌの言葉を遮るようにアルテュールはそう言い、唇に指を当て、ジェスチャーで「黙れ!」と告げた。
「あ、ああ……そうですわね……」
 簡単に口にしてはならない王家の秘密だと気付いたシモーヌは、そう呟くように言うと、うつむいた。
「心配するな、シモーヌ。乙女の救出には、ラ・イール殿やジル・ド・レ殿も動いておられる」
「父上は? 父上は動かれないのですか? 此処はボールヴォワールから離れていますが……」
「私が動くと、陛下のご不興を買うのでな」
「そんな……! このままでは乙女がイギリス軍やあのコーションに引き渡されて、最悪殺されかねないのではありませんか?」
「だからこそ、陛下に動いて頂くべく、私は辺境の地で大人しくしておるのだ! 表面的にはな……」
 その最後の言葉に、シモーヌの表情が明るくなった。
「では………!」
「丁度洗礼を受けて、修道士の暮らしも経験してみたいという者もいるのでな」
「洗礼から、ですか?」
 どんな片田舎でも、この頃には小さな教会や礼拝堂があり、子供達は大抵生まれるとすぐに洗礼を受けるのがならわしになっていた。