「バート! こんなの嫌よ! 絶対、嫌! お願いだから、目を開けて、私を見て! ねぇ、バート! バート!」
 必死でそう叫びながら、青年の体を抱きしめる彼女には、近くで「乙女を捕えろ!」と叫ぶ男達の声も聞こえなかった。
「もう亡くなられています! しっかりして下さい、お嬢様!」
 誰かがそう言い、ぐいと彼女の肩を引っ張ったが、彼女は青年の体を離そうとはしなかった。
「……仕方ない」
 低い男の声は彼女のすぐ傍でそう言うと、再び彼女の肩をひっぱり、その腹に拳を叩き込んだ。
「バー……ト……」
 まだ愛しい男の名を呼びながらも、彼女の視界は暗くなっていったのだった――。

「シモーヌの様子はどう?」
 屋敷の大きな窓からは、青々とした木々が見え、暖かな日差しが降り注いでいるのが見えたが、そう執事長に尋ねるマルグリッドの表情は暗かった。
 「オルレアンの乙女」こと、ジャンヌ・ダルクがブルゴーニュ公に捕まった五月二三日から約一ヶ月後の天気の良い日のことだった。
「まだぼうっとなさり、時折涙を流されておられます」
「そう………。アルテュールからは、何か言ってきた?」
「いいえ、何もお伺いしておりません」
「ということは、陛下は矢張り動かれないのかしら……」
「そのようでございます。陛下が動かれたという噂は聞いたことがございませんので……」
 かなり白くなった髪に、深く刻まれた皺。その皺をより一層深く見せるように顔をしかめると、老執事長はそう言った。
「そう……。陛下は、乙女をお見捨てになられるおつもりなのね。ランスで戴冠式も行われたというのに、用が済んだら捨てるなんて、何てむごいことを!」
 マルグリッドが顔をしかめ、拳(こぶし)を握りしめてそう言うと、執事長は顔をしかめたまま、うつむいた。
「女は使い捨てなどではないわ。ご自分の出生について色々言われておられたことは知っているけれど、今度のことは、あまりにも酷すぎる! どうして、王家の者はみんな冷淡なの! どうして、女を使い捨てのように扱うの! どうして……あの人は、もっと長生きをしてくれなかったの……」
「奥様……」
 執事長は困った表情で呟くようにそう言うと、ポケットからハンカチを取り出し、黙って差し出した。
「いえ、いいのよ、バスティアン。私は、大丈夫。もう泣いたりしないわ。ただ、シモーヌやシモーヌと同じ年だというオルレアンの乙女のことを考えると、何も出来ない自分が歯痒いだけなの。せめて、あの人が……ルイが生きていてくれていたなら、違っていたかもしれないと思ってね……。だめね、私ったら。既にアルテュールの妻だというのに、何を言ってるのかしら」
 そう言うと、マルグリットは作り笑いを浮かべた。