「乙女、そなたも負傷しているではないか! すぐに後ろに下がるのだ!」
 小姓の死に涙しながらも、フランスの旗を手放さずに持つ彼女に近付くと、アランソン公はそう言いながら旗を取ろうとした。
「大丈夫です! 私は鎧を着ていますから、まだ戦えます!」
「無茶だ! 後ろに下がり給え!」
「嫌です! そんなことをしたら、レーモンの死が無駄になってしまうではないですか! 何としてもここは踏ん張り、パリを再び我らのものとしなければ!」
「人の死に、無駄なものなど無いぞ、乙女よ! その生と同じようにな!」
 アランソン公のその叫びにジャンヌは思わず彼を見詰めた。
 やがて、彼女はポロリと大粒の涙を流すと、急に傷の痛みに襲われたのか、矢が刺さったままの肩を押さえた。
「矢張り、痛いのではないか! 後ろに下がり給え!」
「ですが……」
「神のお告げを受けられる君に代われる者など、おらぬのだぞ! 万が一のことがあれば、どうするつもりだ!」
 アランソン公が少し声を荒げてそう言うと、流石にジャンヌもうつむき、旗から手を離した。
「分かりました。少し下がります……」
 彼女がそう呟くように言うと、それをすぐ傍で待っていたピエールは、妹を庇うようにして、共に後ろに下がったのだった。
 ジャンヌの小姓レーモンが彼女を庇って亡くなった翌日、国王シャルル七世から彼らにサン・ドニへの退却命令が出た。
「一体、陛下は何をなさりたいのだ?」
 サン・ドニへの退却後、攻撃の為に作られた、セーヌ河の船橋も破壊され、シャルル自身はとロワール河沿いの町、ジアンに戻り、九月二一日には戴冠式の為に集まっていた部隊まで解散させられたという知らせを聞くと、アランソン公はそう言い、頭を左右に振った。
 結局、パリが本当にフランスに解放されるようになるのはこれから約六年後のことで、その時にはそれを最も喜ぶはずの乙女ジャンヌはこの世にいないのだが、この時にはまだ、誰もそんな事態を想像すらしていなかった。唯一人、ジャンヌ本人を除いては。

「ジャンヌ……?」
 戦続きとはいえ、妹の顔が青ざめていることに気付かぬ兄ではなかった。
「大丈夫か? 調子が悪いんじゃないか?」
「いえ……大丈夫よ……」
 そう答える彼女の瞳は、真っ直ぐ兄ピエールを見ることが出来なかった。
「体の調子でないのなら、何があったというんだ? 誰かに何か言われたか?」
 心配したピエールが耳元でそっと優しく囁くと、彼女はそんな兄の袖を引っ張り、木陰まで連れて行った。
「夢を……見たの……」
「夢? お告げのことか?」
 ピエールの言葉に、ジャンヌは一瞬ビクリとした後、コクリと頷いた。