キッチンに立つ樹里に、ダイニングテーブルの前に座る一が「先生」と声をかける。

樹里はその度に「何?」と答えた。

「先生」「何?」「何作ってんの?」「シチュー」

「先生」「何?」「冬休みは何してんの?」

「先生」「何?」「今日はどうする?」

ずっとその繰り返し。
一の弟の拓海はこたつに寝転んでゲームに夢中だった。

樹里は鍋を火にかけて一の前に腰をおろす。
テーブルの下で一の素足が樹里の足に触れた。
凍えるほど冷たい一の足に心臓が縮む。

「先生」

「何?」

「寒い」

コトコトと鍋から小気味よい音が漏れ、部屋にはシチューの香りが充満している。

静かに時が流れる。ゆっくり、隠れるように。誰にも見つからないようにこっそりと。

車の中で過ごすにはあまりにも寒くなりすぎていた。一が立ち上がり、樹里の隣へと移動する。

「先生」

「何?」

「今日泊まってく?」

小さくくぐもった声で一が耳元で囁いた。

慌てて樹里が一を振り返れば一は無表情でいつもの真っ直ぐな視線を樹里に向けていた。