「海へ行く、海に行って、お父さんに会うんだ。お父さんに」 四十を過ぎた女が、赤く染まった鼻先からにごった涙を洟水といっしょに垂らしながら、はき出すように言う。 「帰ろうよ」とつかんだ腕は、やわらかくつめたい。 振りほどきもせずに、ずんずん歩いていく母の力に気力負けして、あたしも歩く。 家々からも燈りはもれていない。 沖をいく船もない。 暗くうねる海を風が渡る。 母は、ゆったりと曲がった湾へひとつだけ、突き出している船着きの桟橋へ行くつもりなんだろう。