​───────池田屋から数日後。


池田屋事件での功績を認められ、上から新選組という名前をいただき、壬生浪士組から新選組へと改名した。


池田屋事件で本来亡くなる方が3人いるはずだったけど、亡くなった方はいなかった。


永倉さんも右手の親指を怪我してないし、平助も額に怪我をすることも無かった。


ただ1つ、私が知っている史実通りになったのは、沖田さんが倒れたということ。


幸いにも沖田さんは次の日には目を覚まし、しばらく休めという土方さんの言葉を鮮やかにスルーし通常通り隊務に戻り、稽古に励んでいる。


何故あの日知らされてもない池田屋に来て、倒れていたのかは、本人曰く、「場所は、たまたま屯所へ帰る途中に出会った祥太郎と雅さんに教えてもらった。暑さでちょっとクラッとして、そのまま寝ちゃっただけだから心配ないよ」とのことだった。


捕縛した人に尋問した中で、古高俊太郎という人が京の都に火を放とうとしていたと聞き出せた。
目的は天子様の誘拐だとか。
この辺りの事情にはあまり詳しくないけど、悪いことをしようとしたのは事実。

彼は過酷な拷問の上で獄舎に収容されることになった。


拷問の内容は、ひかりちゃんは知らない方がいいよとのこと。……怖いのでそれ以上聞くのはやめました。( ˙˘˙ )