宿屋に戻り、少し仮眠をとった後、私たちは、朝日が昇る前に宿を出た。
ルカは、私がベッドで眠っている間、ずっと傍で寝ずの番をしていてくれた。

「少し眠った方がいいんじゃない?
 今度は、私が起きてて、何かあったらルカを起こすから」

私がそう言っても、ルカは頑なに首を横に振った。

「いや、大丈夫だ。俺はそんなにヤワじゃないさ。
 それより、アリスが大丈夫なら、先を急ごう。
 港町に着く前に日が暮れて、野宿することになったら、それこそ危険だ」

その言葉に、私は昨夜の出来事を思い出し、恐怖で身体がすくんだ。
正直仮眠をとったと言っても、昨夜あんなことがあったばかりで眠れる筈もなく、
身体は疲れていたが、浅い眠りを数度繰り返しただけで、実はあまりよく眠れてはいない。
私の顔が曇るのを見て、ルカが安心させるように笑みを見せた。

「大丈夫だ。アリスのことは、俺が命に代えても守る」

ルカの真っすぐな言葉に、私の胸がきゅんと音を立てた。
この旅が始まった時から、何となく自分の気持ちに気付いてはいたが、
ずっと見て見ぬフリをしてきた。

(ルカは、きっと私が “アイリス姫” だから守ってくれてるのよね……)

真面目なルカのことだ。
私が口では姫をやめるだの何だの言っていても、身に付いた護衛としての態度は変わらないのだろう。

(こんなに近くにいるのに……)

昨日、私を抱きかかえて宿屋へ戻ってから、ルカは私に一切触れようとしない。
常に一定の距離間で接するルカの態度が、否応にも主従の関係を思い出させるようで、胸が切なかった。

そんなことを考えながら、馬小屋の中へ馬を取りに行ったルカを外で待っていると、
思いのほか早くに血相を変えたルカが慌てた様子で戻って来た。
馬は引き連れておらず、手ぶらのままだ。

「あれ、馬はどうしたの?」

「やられた……」

「え、やられたって、どういうこと?」

「馬小屋に繋いであった馬が全部放されていた」

「ええ?! そんな、どうして……」

「おそらく、昨日の男の仕業だろう。
 俺たちが港町に着く前に、どこかでまた襲ってくるつもりだ」

「そんなっ! ……ひどい。それじゃあ、これから私たち……」

「仕方ないが、歩くしかないだろう」

「歩くって、港町まであとどれくらいあるの?」

「馬で1日かかる距離だからな。
 歩きだと……2日か、遅ければ3日はかかるか」

「そんなに……」

これでも曲がりなりにも一国の姫なのだ。
お父様やルカには、散々じゃじゃ馬だとなんだのと言われていたが、
そんなに長い距離を自分の足で歩いたことなど生まれて一度もない。

そして、私は、もう一つ、重大なことに気が付いた。

「あ……でも、そうしたら、ルカとの約束の3日が過ぎてしまうわ」

私がルカの顔を見ると、ルカは既にその答えに達しているようだった。
ルカと私がした約束は、三日後に私の答えを聞く、というものだ。
このまま港町を歩いて目指すとなると、確実にその期限を過ぎてしまい、もう国へ戻ることは出来なくなる。
だが、今ここで来た道を引き返せば、まだ国に戻ることが出来る。
つまり、私は今、最後の分岐点に来ているのだ。

ルカは、凪いだ焦げ茶色の瞳で私を見つめた。

「少し、期限がくるのが早くなったが……どうしますか?
 姫の答えを聞かせてください」

(私は………………)