──物語は、少し前に遡(さかのぼ)る。
 一三四六年にエドワード三世はノルマンディーに上陸し、カーン等を攻略し、パリ近くまで迫った。
 対するフランス側は、国王を名乗るフィリップ六世がアキテーヌから兵を呼び返し、サンドニに大軍を集結させていた。
 このフィリップ六世は、一三二八年にシャルル四世が男子を残さずに亡くなり、フィリップ三世の男系の孫として即位していた男であった。
 フィリップ六世が大軍を終結させたことにより、エドワード三世は、羊毛の取引で市民が親イングランド派のフランドルに撤退する為、北上した。
 その際、浅瀬を防衛していたフランス分隊を撃破し、ソンムリを超えて、地理的に有利なクレシーの丘でフランス軍を待ち受けたのだった。

 一方、対するフィリップ六世は、疲労の度合いを考え、翌朝の戦闘を考えていた。
 だが、大軍の為、統制がとれず、当日すぐ戦闘に入ってしまったのである。
 要するに、血気にはやったフランス貴族の騎馬隊が勝手に突撃をかけてしまったのである。
 それこそがイングランドの思惑通りであった。
 既に、その時イングランド側は、その騎馬隊対策の為に、穴を掘り、杭を建てていたのだった。そして、その後ろにロングボウ隊と戦闘力の高い、下馬騎士隊を配置してもいた。
 黒太子エドワードが受け持った一隊も、その下馬騎士隊であった。ロングボウ隊のすぐ後ろの。
 ちなみに、彼の父親であり、総大将でもあるエドワード三世はというと、後方の風車を指令所にしていたのだった。