葵はしばらく瞬きを繰り返していたけれど、やがて笑いだした。
「もー、びっくりさせないでよー。急に冗談なんて、困るよお」
葵はケラケラと笑ってから、俺の目を見て、笑うのをやめた。
「……わかったよね、冗談じゃないんだ」
「だっ、……え?どういうこと?」
「葵、葵は自分の親のこと、何か覚えてる?」
「親……?」
「俺たちが初めて会ったあの日、葵は本当の家から抜け出してきたんだ。本当の家にお前のお父さんとお母さんがいたわけなんだけど」
俺の声と、シャワーの水音だけがリビングに響く。
ひどく静かだ。
「わかんないよ……」
「そっか」
葵はうつむいて、何も言わない。
俺はさっちゃんが「過去のことを話すのは、あんたには荷が重いよ」と行ったことの意味を痛感していた。
伝えることの難しさって、普通じゃない。
「じゃあ葵、俺と会う前のこと、何か覚えてないか?」
「会う、前?」
「そう。なんでもいいから」
「……ずっと、暗い所にいたの」
葵ちゃんが何か話しだしたら、黙って聞いてあげて、と、さっちゃんに言われていたのを思い出して、俺は葵の次の言葉を待った。
「暗くて、狭いところ。……誰かに叩かれるから、声が出せなかった」
葵はそう言ってから、ガラステーブルに涙を落した。

