あの時の嫌な予感は、これか。

葵の父親は、俺達の顔を見てしまっていたのか。


奴は不気味な甲高い笑い声を上げた。


「アレの存在を知るのなら、無事に帰すわけにはいかなくなったなあ。いやあ早く会社を出て来て本当によかったよ」


奴はネクタイを緩めながら早口に言った。目はギラギラと光り、両手は震えている。震えた手でネクタイを解くと、俺の方へ歩み寄ってきた。

葵の母親を庇いながら後ずさる。

やつから目を離したら最後だ、と、頭の隅で警告が鳴り響いている。


「安心しなさい、待たせて悪かったねえ……すぐに愚かな父親の元に送ってあげるから」

「来るな……!」

「ハハハ大丈夫だ、人はいつか死ぬ」


座ったまま後ずさっていたので、背中にテーブルの足がぶつかり、不安定な置かれ方をしていたのかティーカップが落ちて割れた。


「遅いか早いか、それだけだ」


思うように身動きが取れなくなっていた俺の首に、ネクタイがかかる。


「なあに、すぐ済むさ」


交差されたネクタイが首に食い込み、すぐに息苦しくなった。


「か、は………っ」

「ハハハ」


殺される、と感じた刹那、頭の中に葵の笑顔が浮かんだ。















『ちとせくん!』













……ふざけんなふざけんな。

頭の中で声がした。
こんなところでくたばってたまるか、と声がした。


だって俺はまだ、葵に好きだと言っていない。言ってないんだ。








俺は力を振り絞って、右拳を再び突き出した。

グシャ、という手応えと、ガン!と言う音とが時間差で響き、ネクタイからは力が抜ける。

必至で息を吸い込んだ。

前のめりに崩れてきた葵の父親の後ろには、花瓶を手にした葵の母親が、肩で息をしながら立っていた。