夕方になっても、葵は下に降りてこなかった。
途中俺が休憩にすれば、とドアの外から声をかけたのだけれど、葵の返事は「うん」だけで、彼女が下に降りてくることはなかった。
礼次郎さんの勧めで、俺はドアの外に冷たくて甘いアイスティーと里奈ちゃんのお母さんのお手製だというシュークリームを置いて、葵に声をかけた。
1時間が過ぎたころもう一度葵の様子を見に行ったとき、皿もグラスも部屋の中に消えていたから、少しだけ安心した。
「すみません、こんな時間まで」
6時をいくらか過ぎた時刻を示す立派な壁掛け時計を見ながら、俺は礼次郎さんに向かってつぶやいた。
「いいや、かまわないよ。それにしてもすごい集中力だ。絵を描きだすと、いつもああなのかい?」
「はい。でも、今日のはなんだか異常ってくらいですね」
俺はますます、葵は礼次郎さんのもとで絵を学ぶのがいいんじゃないだろうかと思わずにいられなくなった。
「……谷神くんに先に相談しておこうか」
「え?」
「今度、私の50回目の個展があるんだが、そこで日向くんの絵も展示したい」
「…葵の絵を、ですか?」
「もちろん彼女が良いと言ってくれたらの話だが。どうだろう、谷神くん」
礼次郎さんはこんなバカな高校生相手に、真剣に語りかけてくれた。
俺はだから、精一杯の気持ちをこめて、ありがとうございますと返した。

