俺の手からスケッチブックがばさりと音を立てて滑り落ちた。
その音に葵は気付かない。
鼻歌交じりにキッチンに立つ姿からは、想像もできない、こんな、こんな絵を、彼女はいつ書いていたっていうんだ。
それは、絵とも呼べないような真っ黒なページだった。
絵具でもクレヨンでもなく、ただ、鉛筆で真っ黒に塗りつぶされたページ。その真ん中に、真っ赤なクレヨンで、大きなバツ印が描きこまれいた。
ところどころ、黒く塗りつぶされた部分が丸く歪んでいた。
あれはきっと涙の痕。
葵がどうして泣いたのか、俺には想像がつかない。
いや、想像はつくけれど、したくないのが本音なのかもしれない。
葵にとって、絵を描くってどういうことだ。
葵にとって、この世界は何なんだ。
俺は頭を抱えて、それから急に鼻の奥が痛んだから、強く鼻をすすった。
スケッチブックを拾い上げて、元のように置いた。
ちょうどそこに葵が戻ってきた。
「あれ、ちとせくんお風呂出てたの」
葵は右手で額を軽くぬぐいながら俺に向かってほほ笑んだ。
「…葵、大事な話があるんだけど」
俺は葵にばれないように、右手を強く握りこんだ。

