「は?」
「はい?」
マスターと二人揃って尤もな反応に、けれど目の前の小説家は少しも応じていなかった。
「いや、なに…新しい連載を頼まれているんですがね、この年が災いしてるのか、なかなか若い女の描写が進まない。
お恥ずかしい話だが、僕にはちっともそういう女心が分からなくてね。
それで彼女の話を聞いて、執筆の参考にし……」
「あ、あの。ちょっと待って下さい」
ここでマスターは紗江よりも早く、小説家の突飛な提案に「待った」をかけた。
「ええ。何でしょう?」
「ちょっとお話が突然すぎてよく分からないのですが。
えー……っと。なんでしたっけ。あー…つまり、うちの内海を…ええと、飯村さん?が書く小説の参考にしたいと、そういう訳ですか?」
「そういうことですね」
「はあ、そうですか」
しかし、元祖草食系なマスターはここであっさり納得をしてしまった。
「そうですかあ、はあ、そういうことでしたら…」
「いえいえいえ、ちょっと待って下さい、本人の了承は!?」
マスターと小説家の視線が、一気に紗江へ注がれる。
「ああ、もちろん報酬は弾むよお嬢さん」
「報酬とか…そういうのではなくてですね」
「ただ話を聞ければいいんだ。
こういう時ならどう思うとか、どう行動するとか、そういう話をね」
「それなら、もっとこう、恋愛経験が豊富そうな人にした方がいいと思いますよ」
紗江の的確な反論に、小説家はわざとらしくニッコリと笑った。
「僕は君がいいんだ」
「………」
よく、分からない。
いつも店に来てくれている常連客とはいえ、ここまで好かれる覚えもない。
そもそも、まともに会話をしたのはさっきの数分だけなのだ。
彼女の呆けを何と勘違いしたのか。
小説家は「ううんん」と考え込み、まるで名案を思いついた顔をして、更に突拍子もないことを言ってのけた。
「あー…話がまどろっこしいかな?
お嬢さん自身が『恋愛経験が無い』と申し立てるなら、…うん、じゃあ僕と試しに一ヶ月だけ恋人になるのはどうだろう」
「はい?」
「それなら模擬デートも出来るし、僕も話だけよりずっと良い。
ああ、もちろんキスとかセックスは無しでね。恋人ごっこのような感じで…」

