とうとうその晩竹内は帰って来なかった。
翌朝、法華経研究会が30人ほど集まってくれて
大文字山付近を一日中捜した。

「人騒がせな奴やな。ちゃっかりどっかで旅でも
しとるんとちゃうか」
という先輩もいたが多くのメンバーは真剣に探してくれた。

ひょっとしたらの思いも虚しくとうとうその日も暮れて
竹内はついに現れなかった。

岐阜の親元に連絡をする。翌朝両親は飛んできた。
民青のメンバーも数十名集まって対策を練っていた。

両親は警察に捜索願を出した。
消防団も加わって翌朝から山狩りをすることが決まった。

よく早朝、両親は鈴木の下宿を訪ねてきた。
鈴木は竹内の実家に泊まりにいったこともあり懇意で、
詳しくこの二日の状況を説明した。

「2,3日の旅費くらいは持ってるだろうから、どっか旅
してるんじゃないかな。前にこういう事が一度あったから」
そうあってくれと鈴木は祈った。

朝9時、大文字山の頂上付近。かがり火台を前にして
法華経研究会40名と民青30名、消防団20名と
警察官5名が並んだ。巡査長があいさつに立ち、

「ただ今から竹内誠君のご両親の要請を受け、一昨日から
大文字山頂付近で行方不明になった誠君の捜索を開始
いたします。結構山は深いですから絶対にチームから

離れないように別行動をとらないようにお願いします。
こちら側の皆さんは哲学の道から若王子、鹿ケ谷方面へ。
こちら側の皆さんは大文字山の側面を山道沿いに下って

山腹から鹿ケ谷へ抜けて先ほどの皆さんと合流し、正午
には現地へ戻ってきてください。消防団の皆さんは、
我々と共に山頂方面から奥山に分け入り大回りして

周辺捜索をお願いいたします。声をかけながら慎重に
お願いいたします。以上、解散、出発!」

修は巡査長の指示を聞きながら、
『えらい事になった、人騒がせかもしらん。それなら
それでいい、もろ手をついて俺が謝れば済むことや。

しかしそうでなかったら、俺は一体あの時何で大文字山
へ気分転換に行って来いなんて言うたんやろう。
一生悔やまれる』

いやみな先輩が気休めのつもりか、
「どっか汽車にでも乗って旅してるんやと思うで」
と言いながら、三々五々、

「たけうちーっ!」
と叫びながら山道を下り始めた。

民青の連中は統制は取れているが揃ってひ弱そうだ。
ばらばらで勝手気ままな法華研とは対照的で、皆顔を

背けてあっちを向いている。一様に沈痛な面持ちで
哲学の道へと下りていった。竹内と叫びもしない。

法華研のコースは下駄履きではとても歩けない獣道だ。
木もうっそうと茂っていて大きな枝が頭上を覆う。

不気味な中で皆で声をそろえて叫ぶ、
「たけうちーっ!」
何度も叫びながらそろりそろりと前進した。